、渋柿)
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一日忙しく東京じゅうを駆け回って夜ふけて帰って来る。
寝静まった細長い小路を通って、右へ曲がって、わが家の板塀《いたべい》にたどりつき、闇夜の空に朧《おぼろ》な多角形を劃するわが家の屋根を見上げる時に、ふと妙な事を考えることがある。
この広い日本の、この広い東京の、この片すみの、きまった位置に、自分の家という、ちゃんときまった住み家があり、そこには、自分と特別な関係にある人々が住んでいて、そこへ、今自分は、さも当然のことらしく帰って来るのである。
しかし、これはなんという偶然なことであろう。
この家、この家族が、はたしていつまでここに在《あ》るのだろう。
ある日、一日留守にして、夜おそく帰って見ると、もうそこには自分の家と家族はなくなっていて、全く見知らぬ家に、見知らぬ人が、何十年も前からいるような様子で住んでいる、というような現象は起こり得ないものだろうか、起こってもちっとも不思議はないような気がする。
そんな事を考えながら、門をくぐって内へはいると、もうわが家の存在の必然性に関する疑いは消滅するのである。[#地から1字上げ](昭和四年七月、渋柿)
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あたりが静かになると妙な音が聞こえる。
非常に調子の高い、ニイニイ蝉《ぜみ》の声のような連続的な音が一つ、それから、油蝉《あぶらぜみ》の声のような断続する音と、もう一つ、チッチッと一秒に二回ぐらいずつ繰り返される鋭い音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。
頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。
これは「耳の中の声」である。
平生は、この声に対して無感覚になっているが、どうかして、これが聞こえだすと、聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。
この声は、何を私に物語っているのか、考えてもそれは永久にわかりそうもない。
しかし、この声は私を不幸にする。
もし、幾日も続けてこの声を聞いていたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。
しあわせなことには、わずらわしい生活の日課が、この悲運から私を救い出してくれる。
同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである。[#地から1字上げ](
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