が落ち着いたのだそうである。
 喪中は座敷に簾《すだれ》をたれて白日をさえぎり、高声に話しする事も、木綿車《もめんぐるま》を回すことさえも警《いまし》められた。
 すべてが落着した時に、庭は荒野のように草が茂っていて、始末に困ったそうである。[#地から1字上げ](大正十一年四月、渋柿)
[#改ページ]

       *

 安政時代の土佐の高知での話である。
 刃傷《にんじょう》事件に座して、親族立ち会いの上で詰め腹を切らされた十九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。
 居合わせた人が、あわててその場にあった鉄瓶の湯をその老媼《ろうおう》の口に注ぎ込んだ。
 老媼は、その鉄瓶の底をなで回した掌で、自分の顔をやたらとなで回したために、顔じゅう一面にまっ黒い斑点ができた。
 居合わせた人々は、そういう極端な悲惨な事情のもとにも、やはりそれを見て笑ったそうである。[#地から1字上げ](大正十一年四月、渋柿)
[#改ページ]

       *

 子猫が勢いに乗じて高い樹のそらに上ったが、おりることができなくなって困っている。
 親猫が樹の根元へすわってこずえを見上げては鳴いている。
 人がそばへ行くと、親猫は人の顔を見ては訴えるように鳴く。
 あたかも助けを求めるもののようである。
 こういう状態が二十分もつづいたかと思う。
 その間に親猫は一、二度途中まで登って行ったが、どうすることもできなくて、おめおめとまたおりて来るのであった。
 子猫はとうとう降り始めたが、脚をすべらせて、山吹《やまぶき》の茂みの中へおち込んだ。
 それを抱き上げて連れて来ると、親猫はいそいそとあとからついて来る。
 そうして、縁側におろされた子猫をいきなり嘗《な》め始める。
 子猫は、すぐに乳房にしゃぶりついて、音高くのどを鳴らしはじめる。
 親猫もクルークルーと恩愛にむせぶように咽喉を鳴らしながら、いつまでもいつまでも根気よく嘗め回し、嘗めころがすのである。
 単にこれだけの猫のふるまいを見ていても、猫のすることはすべて純粋な本能的衝動によるもので、人間のすることはみんな霊性のはたらきだという説は到底信じられなくなる。[#地から1字上げ](大正十一年六月、渋柿)
[#改ページ]
[#図2、挿し絵「庭の猫」]
[#改ページ]

       *

 平和会議の結果として、
前へ 次へ
全80ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング