りちがった着物をきて現われているのもある。しかし、重複を避けるためにこれを取り除くとすると、この集の内容の自然な推移の連鎖を勝手に中断することになって、従って一つの忠実な記録としてのこの集の意味を成さぬことになるから、やはり、そういうのもかまわず残らず採録して、実際の年月順に並べることにした。
 中には、ほんの二、三ではあるが、「無題」「曙町より」とは別の欄に載せた短文や書信がある。これも実質的には全く同じものであるから、他のものといっしょにして年月の順に挿入することにした。
 大正十三年ごろの「無題」に、ページの空白を埋めるために自画のカットを入れたのがある。その中の数葉を選んでこの集の景物とする。これも大正のジャーナリズムの世界の片すみに起こった、ささやかな一つの現象の記録というほかには意味はない。
 この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙《せわ》しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。[#地から1字上げ](昭和八年六月、『柿の種』)
[#改丁、ページの左右中央に]

   短章 その一

[#改ページ、ページの左右中央に]
[#ここから3字下げ]
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

       *

 日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
 このガラスは、初めから曇っていることもある。
 生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
 二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
 しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。
 しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
 ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。
 それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。
 穴を見つけても通れない人もある。
 それは、あまりからだが肥《ふと》り過ぎているために……。
 しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。
 まれに、きわめてまれに、天の焔《ほのお》
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