すくんでしまう人や、蜘蛛《くも》がはい出すと顔色を変えるようなのもある。中学時代の同窓で少し強い風の吹く日にはこわくて一歩も外へ出られないのがあったが、その男はまもなく病死してしまった。やはりどこか「弱い」ところがあったのかもしれない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十日)
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友人の科学者で陶器を作るのを道楽にしている男がある。自分の邸内に窯《かま》を造って専門の職人を雇い込んで本式にやっている。御当人はもちろんであるが、その細君もまたおかあさんもそれぞれ熱心なアマチュア芸術家である。このあいだその友人が大きなふろしき包みをかかえて飛び込んで来た。新聞紙で包んだものを取り出すのを見ると、この家庭芸術家三人の作品のたぶん代表的なものであろう、分厚で長方形のシガレットケース――これは科学者の作、それから半月形の灰皿――これは美しい令夫人の作、それから手どく[#「手どく」に傍点]で白釉《はくゆう》に碧緑《へきりょく》の色を流した花瓶――これは母堂の作である。
今病床の脇の小卓の上にこの三つの陶器がのせてあるのをつくづくながめていると、この三つの作品のそれぞれの個性がだんだんにはっきり眼についてくる。角箱には鼻っ張りの強い負けぎらいの気性とオリジナルで鋭いしかもデリケートな才能の動きが地味な褐色の釉薬の底から浮き出しているといったようなところがある。
灰皿のほうは肉の薄味、線の丸さ、波形の縁《へり》のうねり、その他どう見ても優しいそうして濃まやかな感じの持ち主の手になったものとしか思われない。
花瓶のほうをよく見ていると手づくねの筒形の胴の表面の彎曲《わんきょく》、釉薬の自然な斑模様《まだらもよう》、そういったもののきわめて複雑な変化の中に、いかにも世の中の苦労という苦労を舐め尽くして来たかのような、しかもいかにも女らしい一種の心ばえのようなものがありありと読みとられるようである。
これではうっかり団子も丸められない。[#地から1字上げ](昭和十年十月十日)
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辻待ちの円タク、たとえば曙町まで五十銭で行かないかというと、返事をしないでいきなりそっぽを向いてしまうのがある。いやな顔をしてきわめてゆっくりかぶりを振るのもある。それからまたにこにこと愛嬌笑いをしてもう十銭やってくださいといいなが
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