く。堰堤《えんてい》工事の起重機や汽車の運動は、見ているとめまいを起こすほどであるが、しかしその編集法はやはり静的で動的でない。
 冒頭のドニエプル河畔の茫漠《ぼうばく》たる風景も静的である。こういう自然の中に生まれた国民のまねを日本人がしようとするのはほんとうに無意義なことである。
 この映画は文部省あたりの思想善導映画として使われうる可能性をもっている。これは皮肉ではない。
[#地から3字上げ](昭和九年六月、キネマ旬報)

     六 バンジャ

 映画「バンジャ」を見た。従来の猛獣映画に比べて多少の特色はあるようである。見えすいた芝居が比較的少ないので、見ていて気持ちがよく、退屈しなくてすむ。
 象が人間に使われて実によく命令を聞き、見かけに似合わず小まめに仕事をする。あれほど利口なこの動物がどうして人間の無力を見抜いてあばれださないか不思議に思われて来る。人間は知恵でこの動物を気ままにしていると思ってうぬぼれている。しかしこれらの象が本気であばれだしたら大概の人間の知恵では到底どうにもならなくなるのではないか。象が人間に負けているのは知恵のせいではない。協力ということができないだけが彼らの弱みではないかと思われる。協同した暴力の前には知恵などはなんの役にも立たないことは人間の歴史が眼前に証明している。
 犀《さい》というものがどうにも不格好なものである。しかしどうしてこれが他の多くの動物よりもより多く「不格好」という形容詞に対する特権を享有することになるのか。
 人間の使ういろいろな器具器械でも一目見てなんとなくいい格好をしたものはたいてい使ってぐあいがよい。物理学実験に使われる精密器械でさえも設計のまずい使ってぐあいの悪いようなのはどことなく見た格好が悪いというのが自分の年来の経験である。
 動物でも、なんとなしに不格好に見えるのはやはり現在の地球上に支配する環境の中で生活するのに不便なようにできているのではないかと思われてくる。犀などがだんだんに人間に狩り尽くされて絶滅しかけているという事実はたしかに彼らが現世界に生存するに不利益な条件を備えているためであろう。
 過去のある時代には犀のようなものが時を得顔に横行したこともあったのである。その時代の環境のいかなる要素が彼らの生存に有利であったかがおもしろい問題である。
 今から何万年の後に地球上の物理的条件が一変して再び犀かあるいは犀の後裔《こうえい》かが幅をきかすようになったとしたら、その時代の人間――もし人間がいるとしたら――の目にはこの犀がおそらく優美典雅の象徴のように見えるであろう。そういう時代が来ないという証明は今の科学ではできそうもない。
 犀《さい》について言われることは人間の思想についてもほとんど同じように言われはしないか。
 この映画でいちばん笑わされるのは「めがね猿《ざる》」を捕えるトリックである。揶子《やし》の実の殻《から》に穴をあけその中に少しの米粒を入れたのを繩《なわ》で縛って、その繩の端を地中に打ち込んだ杭《くい》につないでおく。猿《さる》がやって来て片手を穴に突っ込んで米を握ると拳《こぶし》が穴につかえて抜けなくなる。逃げれば逃げられる係蹄《わな》に自分で一生懸命につかまって捕われるのを待つのである。
 ごちそうに出した金米糖《こんぺいとう》のつぼにお客様が手をさし込んだらどうしても抜けなくなったのでしかたなく壺をこわして見たら拳いっぱいに欲張って握り込んでいたという笑話がある。こんな人間はまず少ないであろうが、これとよく似た係蹄に我れとわが手にかかって人の虜《とりこ》になり生き恥をさらす人は実に数え切れないほど多数である。「めがね猿」ばかりを笑うわけにはゆかないのである。
 大蛇《だいじゃ》が豚を一匹丸のみにして寝ている。「満腹」という言語では不十分である。三百パーセントか四百パーセントの満腹である。からだの直径がどう見ても三四倍になっている。他の動物の組織でこんなに伸長されてそれで破裂しないものがあろうとはちょっと思われないようである。もっとも胎生動物の母胎の伸縮も同様な例としてあげられるかもしれないが、しかしこの蛇《へび》のように僅少《きんしょう》な時間にこんなに自由に伸びるのは全く珍しいと言わなければなるまい。これにはきっと特別な細胞や繊維の特異性があるに相違ないが、ちょっとした動物学の書物などには、こうしたいちばんわれらの知りたいようなおもしろいことが書いてないようである。
 主人公のバック氏が傘蛇《からかさへび》に襲われ上着を脱いでかぶせて取り押える場面がある。この場合は柔よく柔を制すとでもいうべきである。さすがの蛇《へび》もぐにゃぐにゃした上着ではちょっとどうしていいか見当がつかないであろう。この映画ではまた金網で豹《
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