光景が現われる。次には、とある店先のショーウィンドウの鎧戸《よろいど》が引き上げられる、その音のガーガーと鵞鳥のガーガーが交錯する。そうしてこの窓にヒロインの絵姿のビラがはってあるのである。これを彼《か》の「モロッコ」の冒頭に出て来るアラビア人と驢馬《ろば》のシーンに比べるとおもしろい。後者のほうがよほど垢《あか》が取れた感じがする。前者のほうは容易に説明のできる小細工のおもしろみであるに対して、後者のほうには一口には説明のできない深い暗示があり不思議なアトモスフェアがあるのである。ラート教授の下宿の朝食のトロストロースな光景はかなりよくできている。いつも鳴く小鳥が死んでいる。そうして教授の唯一の愛が奪われるのであるが、後に教授が女の家で泊まった朝、二人でコーヒーをのんでいるときに小鳥の声が聞こえることになっている。こういうふうの技巧で過去を現在に反射――対照する方法はこの監督のかなり得意な慣用手段であるように見える。たとえば同じようなスートケースが少なくも四五度現われて、それが皆それぞれ違った役目をつとめると同時にその物を通して過去をフラッシュバックして運命の推移を意識させる。またたとえば教授の出勤時刻をしらせる時計の音が何度も出て来る。教場の光景も初めと終わりに現われそれが皆それぞれ全く変わった主人公の心境の背景として現われるのである。同じ女の絵はがきでも初めは生徒の手から没収したのを後には自分でお客に売り歩くことになっている。要するにこの映画ではこういうものがあまり錯雑し過ぎていた、なんとなく渾然《こんぜん》としない感じがする。これに比べると「モロッコ」の太鼓とラッパの一貫したモティフの繰り返しはよほど洗練されたものである。そう言えば「青い天使」の舞台や楽屋の間のシーンも視覚的効果としてやはり少しうるさすぎる感じがある。それが下宿屋の荒涼な環境との対比であるにしても少しあくが強すぎるような気がするがそこがドイツ向きなところかもしれない。ここの楽屋で始終影のようにつきまとう一人の道化師がある。これが不思議な存在である。断えず出入りしているが劇中の人には見えない聞こえない、ちょうど幽霊のような役目をつとめている。教授自身が道化師になって後にはこれが現われて来ない。これはおそらく教授のドッペルゲンガーのようなもので、そうして未来の悲運の夢魔であり、眼前の不安の予覚である。これは監督苦心の産物かもしれないが、効果は遺憾ながらあまり上乗とは思われない。後日「モロッコ」を作る場合にはこの道化師までもみんないっしょに太鼓とラッパの音の中へたたき込んでしまったものと思われる。
俳諧連句《はいかいれんく》については私はすでにしばしば論じたこともあるからここでは別に述べない。とにかく、連句に携わる人はもちろん、まだこれについて何も知らない人でも、試みに「芭蕉《ばしょう》七部集」の岩波本を活動帰りの電車の中ででも少しばかりのぞいて見れば、このごろ舶来のモンタージュ術と本質的に全く同型で、しかもこれに比べて比較にならぬほど立派なものが何百年前の日本の民衆の間に平気で行なわれていたことを発見して驚くであろう。ウンター・デン・リンデンを歩いている女と、タウエンチーン街を歩いている男と、ホワイトハウスの玄関をはぎ合わせたりするような事はそもそも宵《よい》の口のことであって、もっともっと美しい深い内容的のモンタージュはいかなる連句のいかなる所にも見いだされるであろう。そうしてそのモンタージュの必然的な正確さから言ってもその推移のリズムの美しさから言っても、そのままに今の映画製作者の模範とするに足るものは至るところに見いださるるであろう。しかし現代の日本人から忘れられ誤解されている連句は本家の日本ではだれも顧みる人がない。そうして遠いロシアの新映画の先頭に立つ豪傑の慧眼《けいがん》によって掘り出され利用されて行くのを指をくわえて茫然《ぼうぜん》としていなければならないのである。しかも、ロシア人にほんとうに日本の俳諧《はいかい》が了解されようとは考えにくいのに、それだのにそのロシア人の目を一度通ったものでなければ、今の日本人は受け付けないのである。浮世絵の相場が西洋人の顧客によって制定されると一般である。また日本人の独創的な科学的研究でも、西洋人が一度きわめをつけないと、学位さえもらえないことがあるのとも一般である。
モンタージュはすなわちモンテーであり、マウンティングであり、日本語では取り付け、取り合わせ、付け合わせ、あしらいである。花を生けるのもこれである。試みに西川一草亭《にしかわいっそうてい》一門の生けた花を見れば、いかに草と木と、花と花と、花と花器とのモンタージュの洗練されうるかを知ることができる。文人風や遠州《えんしゅう》好《ごの》みの床飾
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