あり道徳があるために鳥獣の敏活さがなくても安心して生きて行かれる。そのために吾々はだんだんに鈍になり気永くなってしまったのであろう。
しかし鳥獣を羨《うらや》んだ原始人の三つ子の心はいつまでも生き延びて現代の文明人の社会にも活動している。蛾をはたき落す猫を羨み讃歎する心がベースボールのホームランヒットに喝采を送る。一片の麩《ふ》を争う池の鯉の跳躍への憧憬がラグビー戦の観客を吸い寄せる原動力となるであろう。オリンピック競技では馬や羚羊《かもしか》や魚の妙技に肉薄しようという世界中の人間の努力の成果が展開されているのであろう。
機械的文明の発達は人間のこうした慾望の焔にガソリン油を注いだ。そのガソリンは、モーターに超高速度を与えて、自動車を走らせ、飛行機を飛ばせる。太平の夢はこれらのエンジンの騒音に攪乱《かくらん》されてしまったのである。
交通規則や国際間の盟約が履行されている間はまだまだ安心であろうが、そういうものが頼みにならない日がいつ何時来るかもしれない。その日が来るとこれらの機械的鳥獣の自由な活動が始まるであろう。
「太平洋爆撃隊」という映画が大変な人気を呼んだ。映画というものは、なんでも、吾々がしたくてたまらないが実際はなかなか容易に出来ないと思うような事をやって見せれば大衆の喝采を博するのだそうである。なるほどこの映画にもそういうところがある。一番面白いのは、三艘の大飛行船が船首を並べて断雲の間を飛行している、その上空に追い迫った一隊の爆撃機が急速なダイヴィングで礫《つぶて》のごとく落下して来て、飛行船の横腹と横腹との間の狭い空間を電光のごとくかすめては滝壷の燕《つばめ》のごとく舞上がる光景である。それがただ一艘ならばまだしも、数え切れぬほど沢山の飛行機が、あとからもあとからも飛び来り飛び去るのである。この光景の映写の間にこれと相錯綜《あいさくそう》して、それらの爆撃機自身に固定されたカメラから撮影された四辺の目まぐるしい光景が映出されるのである。この映画によって吾々の祖先が数万年の間羨みつづけに羨んで来た望みが遂げられたのである。吾々は、この映画を見ることによって、吾々自身が森の樹間をかける山鳩や樫鳥になってしまうのである。
こういう飛行機の操縦をするいわゆる鳥人の神経は訓練によって年とともに次第に発達するであろう。世界の人口の三分の一か五分の一か
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