のである。この二説は磯氏も注意されたように相互に類似している。これを科学的な目で見ると要するに馬の頭部の近辺に或《あ》る異常な光の現象が起こるというふうに解釈される。
次に注意すべきは、この怪異の起こる時の時間的分布である。すなわち「濃州《のうしゅう》では四月から七月までで、別して五六月が多いという。七月になりかかると、秋風が立ち初める、とギバの難は影を隠してしまう。武州《ぶしゅう》常州《じょうしゅう》あたりでもやはり四月から七月と言っている」。また晴天には現われず「晴れては曇り曇っては晴れる、村雲などが出たりはいったりする日に限って」現われるとある。また一日じゅうの時刻については「朝五つ時前(午前八時)、夕七つ時過ぎ(午後四時)にはかけられない、多くは日盛りであるという」とある。
またこの出現するのにおのずから場所が定まっている傾向があり、たとえば一里塚《いちりづか》のような所の例があげられている。
もう一つ参考になるのは、馬をギバの難から救う方法として、これが襲いかかった時に、半纏《はんてん》でも風呂敷《ふろしき》でも莚《むしろ》でも、そういうものを馬の首からかぶせるといいということがある。もちろん、その上に、尾の上の背骨に針を打ち込んだりするそうであるが、このようにものをかぶせる事が「針よりも大切なまじない」だと考えられている。またこれと共通な点のあるのは、平生のギバよけのまじないとして、馬に腹当てをさせるとよい、ただしそれは「大津東町上下仕合」と白く染めぬいたものを用いる。「このアブヨケをした馬がギバにかけられてたおれたのを見た事がないと、言われている」。
別の説として美濃《みの》では「ギバは白虻《しろあぶ》のような、目にも見えない虫だという説がある、また常陸《ひたち》ではその虫を大津虫と呼んでいる。虫は玉虫色をしていて足長蜂《あしながばち》に似ている」という記事もある。
以上の現象の記述には、なんらか事実に基づいたものがあるという前提を置いて、さて何かこれに類似した自然現象はないかと考えてみると、まず第一に旋風が考えられる。もし旋風のためとすればそれは馬が急激な気圧降下のために窒息でもするか内臓の障害でも起こすのであろうかと推測される。しかしそれだけであってこのギバの他の属性に関する記述とはなんら著しい照応を見ない。もっとも旋風は多くの場合に雷雨現象と連関して起こるから、その点で後に述べる時間分布の関係から言って多少この説に有利な点はある。しかしいわゆる光の現象やまた前述のまじないの意味は全くこれでは説明されない。
これに反して、ギバがなんらかの空中放電によるものと考えると、たてがみが立ち上がったり、光の線条が見えたり、玉虫色の光が馬の首を包んだりする事が、全部生きた科学的記述としての意味をもって来る。また衣服その他で頭をおおい、また腹部を保護するという事は、つまり電気の半導体で馬の身体の一部を被覆して、放電による電流が直接にその局部の肉体に流れるのを防ぐという意味に解釈されて来るのである。
またこういう放電現象が夏期に多い事、および日中に多い事は周知の事実であるので、前述の時間分布は、これときわめてよく符合する事になる。
場所のおのずから定まる傾向については、自分は何事も具体的のことをいうだけの材料を持ち合わせないが、これも調べてみたら、おそらく放電現象の多い場所と符合するようなことがありはしないかと想像される。
しかしこの仮説にとって重大な試金石となるものは、馬のこの種の放電に対する反応いかんである。すなわち人間にはなんらの害を及ぼさない程度の放電によって馬が斃死《へいし》しうるかどうかという事である。これについてはおそらくすでに文献もある事と思われるが、自分はまだよく承知していない。ただ馬が特に感電に対して弱いものであるという事だけは馬に関する専門家に聞いて確かめる事ができた。なおこれについては高圧電源を用いていくらも実験する事が可能であり、またすでにいくらかは実験された事かもしれない。しかし実験室で、ある指定された条件のもとにおいて行なわれた実験が必ずしも直接に野外の現象に適用されるかどうかは疑わしい。結局は実際の野外における現象の正確な観察を待つ必要がある。
ギバの現象が現時においてもどこかの地方で存在を認められているか。もしいるとすればこれに遭遇したという人の記述をできるだけ多く収集したいものである。読者の中でもしなんらかの資料を供給されるならば大幸である。
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(この「怪異考」は機会があらば、あとを続けたいという希望をもっている。昭和二年十月四日)
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[#地から3字上げ](昭和二年十一月、思想)
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
1997(平成9)年5月6日第70刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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