のスペキュレーションを組み立てる事ができる。
 ジャンの記録はすでに百年前にはある。もっともこの記録では、当時これが現存したものか、あるいは過去の事として書いたものか、あまり判然とはしない。そしてとにかくわれわれの現時はないと言われている。自分の幼時にこの事を話した老人は現に自分でこれを体験したかのごとく話したが、それは疑わしいとしても、この老人の頭の若かった時代にこの話がかなりの生々しい色彩をもって流布されていた事は確からしい。
 土佐における大地変の最初の記録としては、西暦六八四年天武天皇の時代の地震で、土地五十万|頃《けい》が陥落して海となったという記録があり、それからずっと後には慶長九年(一六〇四)と宝永四年(一七〇七)ならびに安政元年(一八五四)とこの三回の大地震が知られており、このうちで、後の二回には、海浜の地帯に隆起や沈降のあった事が知られている。さて、これらの大地震によって表明される地殻《ちかく》の歪《ひずみ》は、地震のない時でも、常にどこかに、なんらかの程度に存在しているのであるから、もし適当な条件の具備した局部の地殻があればそこに対し小規模の地震、すなわち地鳴りの現象を誘起しても不思議はないわけである。そして、それがある時代には頻繁《ひんぱん》に現われ、他の時代にはほとんど現われなくなったとしても、それほど不思議な事とは思われない。
 今問題の孕《はらみ》の地形を見ると、この海峡は、五万分の一の地形図を見れば、何人も疑う余地のないほど明瞭《めいりょう》な地殻《ちかく》の割れ目である。すなわち東西に走る連山が南北に走る断層線で中断されたものである。さらにまたこの海峡の西側に比べると東側の山脈の脊梁《せきりょう》は明らかに百メートルほどを沈下し、その上に、南のほうに数百メートルもずれ動いたものである事がわかる。もっともこの断層の生成、これに伴なう沈下や滑動《かつどう》の起こった時代は、おそらく非常に古い地質時代に属するもので、その時の歪《ひずみ》が現在まで残っていようとは信ぜられない。しかしそのような著しい地殻の古きずが現在の歪に対して時々過敏になりうるであろうと想像するのは単に無稽《むけい》な空想とは言われないであろう。
 それで問題の怪異の一つの可能な説明としては、これは、ある時代、おそらくは宝永地震後、安政地震のころへかけて、この地方の地殻に特
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