。それは到底今の自分には急にできそうもない。それかと言っていつになったらそれができるという確かな見込みも立たない。
 それで、ただここにはほんの一つの空想、ただし多少科学的の考察に基づいた空想あるいは「小説」を備忘録として書き留めておく。もしこれらの問題に興味をもつほんとうの考証家があればありがたいと思うまでである。

       一

 その怪異の第一は、自分の郷里|高知《こうち》付近で知られている「孕《はらみ》のジャン」と称するものである。孕は地名で、高知の海岸に並行する山脈が浦戸湾《うらどわん》に中断されたその両側の突端の地とその海峡とを込めた名前である。この現象については、最近に、土佐《とさ》郷土史《きょうどし》の権威として知られた杜山居士《とざんこじ》寺石正路《てらいしまさみち》氏が雑誌「土佐史壇」第十七号に「郷土史断片」その三〇として記載されたものがある。「(前略)昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰《さた》がない、根拠の無き話かと思えば、「土佐今昔物語」という書に、沼澄《ぬまずみ》(鹿持雅澄《かもちまさずみ》翁《おう》)の名をもって左のとおりしるされている。
[#ここから1字下げ]
孕の海にジャン[#「ジャン」に白丸傍点]と唱うる稀有《けう》のものありけり、たれしの人もいまだその形を見たるものなく、その物は夜半にジャーンと鳴り響きて海上を過ぎ行くなりけり、漁業をして世を渡るどちに、夜半に小舟浮かべて、あるは釣《つ》りをたれ、あるいは網を打ちて幸《さち》多かるも、このも[#「も」に「原」の注記]海上を行き過ぐればたちまちに魚騒ぎ走りて、時を移すともその夜はまた幸《さち》なかりけり、高知ほとりの方言に、ものの破談になりたる事をジャンになりたりというも、この海上行き過ぐるものよりいでたることなん語り伝えたりとや。
[#ここで字下げ終わり]
 この文は鹿持翁の筆なればおおよそ小百年前のことにして孕《はらみ》のジャンはこのほどの昔よりもすでにその伝があったことが知れる(後略)。」寺石氏はこのジャンの意味の転用に関する上記の説の誤謬《ごびゅう》を指摘している。また終わりに諏訪湖《すわこ》の神渡りの音響の事を引き、孕のジャンは「何か微妙な地の震動に関したことではあるまいか」と述べておられる。
 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話を聞かされ
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング