が鳴いて蒸し暑さはいっそうはげしい。今折って来た野ばらをかぎながら二三町行くと、向こうから柴を負うた若者が一人上って来た。身のたけに余る柴を負うてのそりのそりあるいて来た。たくましい赤黒い顔に鉢巻《はちまき》をきつくしめて、腰にはとぎすました鎌《かま》が光っている。行き違う時に「どうもお邪魔さまで」といって自分の顔をちらと見た。しばらくして振り返って見たら、若者はもう清水《しみず》のへん近く上がっていたが、向こうでも振りかえってこっちを見た。自分はなんというわけなしに手に持っていた野ばらを道ばたに捨てて行く手の清水へと急いで歩いた。
七 常山の花
まだ小学校に通《かよ》ったころ、昆虫《こんちゅう》を集める事が友だち仲間ではやった。自分も母にねだって蚊帳《かや》の破れたので捕虫網を作ってもらって、土用の日盛りにも恐れず、これを肩にかけて毎日のように虫捕《むしと》りに出かけた。蝶蛾《ちょうが》や甲虫《かぶとむし》類のいちばんたくさんに棲《す》んでいる城山《しろやま》の中をあちこちと長い日を暮らした。二の丸三の丸の草原には珍しい蝶やばった[#「ばった」に傍点]がおびただしい。少し茂みに入ると樹木の幹にさまざまの甲虫が見つかる。玉虫、こがね虫、米つき虫の種類がかずかずいた。強い草木の香にむせながら、胸をおどらせながらこんな虫をねらって歩いた。捕《と》って来た虫は熱湯や樟脳《しょうのう》で殺して菓子折りの標本箱へきれいに並べた。そうしてこの箱の数の増すのが楽しみであった。虫捕りから帰って来ると、からだは汗を浴びたようになり、顔は火のようであった。どうしてあんなに虫好きであったろうと母が今でも昔話の一つに数える。年を経ておもしろい事にも出会うたが、あのころ珍しい虫を見つけて捕えた時のような鋭い喜びはまれである。今でも城山の奥の茂みに蒸された朽ち木の香を思い出す事ができるのである。いつか城山のずっとすそのお堀《ほり》に臨んだ暗い茂みにはいったら、一株の大きな常山木《じょうざんぼく》があって桃色がかった花がこずえを一面におおうていた。散った花は風にふかれて、みぎわに朽ち沈んだ泥船《どろぶね》に美しく散らばっていた。この木の幹はところどころ虫の食い入った穴があって、穴の口には細かい木くずが虫の糞《ふん》と共にこぼれかかって一種の臭気が鼻を襲うた。木の幹の高い所に、大き
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