マの顔には焼けど、額には血、目の縁は黒くなって、そうして平気で揚々と引き上げて行くところで「おしまい」である。
 紙芝居にしても悪くはなさそうである。それはとにかく、これだけの、小さな小さな「火事教育」でも、これだけの程度にでもちゃんとしたものがわが国の本屋の店頭にあるかどうか、もし見つかったかたがあったらどうかごめんどうでもちょっとお知らせを願いたい。
 ついでながら見本としてこの絵本の第一ページの文句だけを紹介する。発音は自己流でいいかげんのものであるが、およその体裁だけはわかるであろう。
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フ、プロースチャデイ、バザールノイ
ナ、カランチェー、パジャールノイ
クルーグルイ、スートキ
ダゾールヌイ、ウ、ブードキ
スマトリート、ワクルーグ
  ナ、シェビェール
  ナ、ユーグ
  ナ、ザーパド
  ナ、ウォストク
ニェ、ウィディエイ、リ、ドゥイモーク、
[#ここから5字下げ]
右の訳。これもいいかげんである。
[#ここから3字下げ]
市場の辻《つじ》の
消防|屯所《とんしょ》
夜でも昼でも
火の見で見張り
ぐるぐる見回る
  北は………
  南は………
  西は………
  東は………
どっかに煙はさて見えないか。
[#ここで字下げ終わり]
 わが国の教育家、画家、詩人ならびに出版業者が、ともかくもこの粗末な絵本を参考のために一見して、そうしてわが国児童のために、ほんの些細《ささい》の労力を貢献して、若干の火事教育の絵本を提供されることを切望する次第である。そうすればこの赤露の絵本などよりは数等すぐれた、もっと科学的に有効適切で、もっと芸術的にも立派なものができるであろうと思われる。そういう仕事は決して一流の芸術家を恥ずかしめるものではあるまいと信ずるのである。科学国の文化への貢献という立場から見れば、むしろ、このほうが帝展で金牌《きんぱい》をもらうよりも、もっともっとはるかに重大な使命であるかもしれないのである。
[#地から3字上げ](昭和八年一月)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年7月6日作成
青空文庫
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