普通人間の客観とは次第に縁の遠いものになり、言わば科学者という特殊な人間の主観になって来るような傾向がある。近代理論物理学の傾向がプランクなどの言うごとく次第に「人間本位《アントロポモルフェン》の要素《エレメンテ》」の除去にあるとすればその結果は一面において大いに客観的であると同時にまた一面においては大いに主観的なものとも言えない事はない。芸術界におけるキュービズムやフツリズムが直接五官の印象を離れた概念の表現を試みているのとかなり類したところがないでもない。

 次に、自然科学においてはその対象とする事物の「価値」は問題とならぬが、その研究の結果や方法の学術的価値にはおのずから他に標準がある。芸術のための芸術ではその取り扱う物の価値よりその作物の芸術的価値が問題になる。そうして後者の価値という事がむつかしい問題であると同様に前者の価値という事も厳密には定め難いものである。

 科学の方則や事実の表現はこれを言い表わす国語や方程式の形のいかんを問わぬ。しかし芸術は事物その物よりはこれを表現する方法にあるとも言わば言われぬ事はあるまい。しかしこれもそう簡単ではない。なるほど科学の方則を日
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