うか、これは自分の年来の疑問である。
 夏目漱石先生がかつて科学者と芸術家とは、その職業と嗜好《しこう》を完全に一致させうるという点において共通なものであるという意味の講演をされた事があると記憶している。もちろん芸術家も時として衣食のために働かなければならぬと同様に、科学者もまた時として同様な目的のために自分の嗜好に反した仕事に骨を折らなければならぬ事がある。しかしそのような場合にでも、その仕事の中に自分の天与の嗜好《しこう》に逢着《ほうちゃく》して、いつのまにかそれが仕事であるという事を忘れ、無我の境に入りうる機会も少なくないようである。いわんや衣食に窮せず、仕事に追われぬ芸術家と科学者が、それぞれの製作と研究とに没頭している時の特殊な心的状態は、その間になんらの区別をも見いだしがたいように思われる。しかしそれだけのことならば、あるいは芸術家と科学者のみに限らぬかもしれない。天性の猟師が獲物をねらっている瞬間に経験する機微な享楽も、樵夫《しょうふ》が大木を倒す時に味わう一種の本能満足も、これと類似の点がないとはいわれない。
 しかし科学者と芸術家の生命とするところは創作である。他人の
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