教わったり、また病気であるかないか分らないようなからだの工合を話して意見を聞くようなことが、あたかも鉛筆一本、ハンケチ一枚買うように気軽に出来れば便利である。
 家を建てようと思う人が自分の素人設計図を見せてまずい所を直してもらったり、ちょっとした器械でも買う場合に目的を話して適当なものを選定してもらわれれば好都合である。メロンを作ってみたいと思う人が自分の畑の適否を相談し、栽培法の要領を教われれば軽便である。
 もう少し実用を離れた知識でもわれわれは時に自分の畑違いの事で一通りのことを心得ておきたい場合がある。書物を読めばいいとしたところで第一どういう本を読んでいいのかそれが分らない。そういう場合にもし百貨店で買物の節に軽便安直な知識を購入出来れば工合がいい。たとえば相対性原理とはどんな事か、マルキシズムとは何か、バロック芸術とは何、ベースボールとは何、ジャズとは何、そういうことが望みのままに早分りがすれば甚だ便利であり、また時代に適応する所以《ゆえん》であるかもしれない。
 現代に隆盛を極めている各方面の通俗的な雑誌はこういう安価で軽便な皮相的な知識を汽車弁当のおかずのごとく詰め込んであるが、ただ自分のちょうど欲しいと思うものを自分の欲しい時に手にいれようとするには不便である。それには百貨店に私のこの提案が採用されると便利であろう。
 これらの「知識の売子」にはそう大したえらい本当の学者は入用はないのみならず、かえって甚だ厄介でかつ不都合であろう。この選定はむしろ百貨店の支配人に一任すればよい。
 某百貨店の入口の噴水の傍の椰子《やし》の葉蔭のベンチに腰かけてうっとりしているうちに、私はこんな他愛もない夢を見ていたのである。[#地から1字上げ](昭和四年八月『東京朝日新聞』)

      二 地図をたどる

 暑い汽車に乗って遠方へ出かけ、わざわざ不便で窮屈な間に合せの生活を求めに行くよりも、馴れた自分の家にゆっくり落着いて心とからだの安静を保つのが自分にはいちばん涼しい銷夏《しょうか》法である。
 日中の暑い盛りにはやはり暑いには相違ない。しかし何か興味のある仕事に没頭することが出来れば暑さを忘れてしまうことは容易である。それにはあまり頭も苦しめなくて、ただ器械的に仕事を進めて行くうちに自ずから興味の泌み出して来るようなことが適当である。例えばある年の夏は江
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