ガポールやコロンボの暑さは、たしかに暑いには相違ないが、その暑さはいわば板についた暑さで、自然の風物も人間の生活もその暑さにぴったり調和しているので、暑さが美化され純化されている。今思いだすだけでも熱帯の暑さの記憶は実に美しい幻影で装飾されている。しかし岡山や高松の暑さの思い出にはそれがない。後楽園や栗林《りつりん》公園はやはり春秋に見るべきであろう。九十五度の風が吹くと温帯の風物は赤土色の憂愁に包まれてしまうのである。
 喉元《のどもと》過ぎれば暑さを忘れるという。実際われわれには暑さ寒さの感覚そのものも記憶は薄弱であるように見える。ただその感覚と同時に経験した色々の出来事の記憶の印銘される濃度が、その時の暑さ寒さの刺戟によって、強調されるのではないかという気がする。そうしてその出来事を想いだす時にはその暑寒の感覚はもう単なる概念的の抜殻になってしまっているようである。
 今年の夏も相当に暑い。宅のすぐ向う側に風呂屋が建つことになって、昨日から取毀《とりこわ》しが始まった。この出来事によって今年の夏の暑さの記憶は相当に濃厚なものになるであろうと思われる。
[#地から1字上げ](昭和五年八月『東京朝日新聞』)

      四 験潮旅行

 明治三十七年の夏休みに陸中|釜石《かまいし》附近の港湾の潮汐《ちょうせき》を調べに行ったときの話である。塩釜《しおがま》から小さな汽船に乗って美しい女学生の一行と乗合せたが、土用波にひどく揺られてへとへとに酔ってしまって、仙台で買って来たチョコレートをすっかり吐いてしまった。釜石の港へはいると、何とも知れない悪臭が港内の空気に滲み渡っていて、浜辺に近づくほどそれが猛烈になる。夥《おびただ》しいかもめの群れが渦巻いている。いかの大漁があったのが販路を失って浜で腐ったのであった。上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭に対して無感覚となって、うまく飯が食えるようになった。
 千歳《せんざい》という岬端《こうたん》の村で半日くらい観測した時は、土地の豪家で昼食を食わしてもらった。生来見たことのない不気味な怪物のなますを御馳走になった。それがホヤであった。海へはいって泳いでみたら、恐ろしく冷たいので、ふるえ上がってしまった。そこから吉浜《よしはま》まで海岸の雨の山道を、験潮器を背負って、苫《とま》をかぶってあるいていると、ホトト
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