す。これはどういうわけかというと、砂粒が自然のままに落ち着いている時は、粒の間の空隙《くうげき》がなるたけ少ないようになっているが、足で踏んだりすると、その周囲の所は少し無理がいって空隙が多くなり、近辺の水を吸い込むからです。試みにこのような、充分水を含んだ細砂を両手で急に強く握りしめると、湿気が失《う》せて固くなるが、握ったままでいるとだんだん柔らかくなってダラダラ流れ出します。足で踏んでも、踏んだ時は固いが、だんだん足がめり込んで行きます。よほどおもしろいものだから、忘れずにためしてごらんなさい。
浜べには通例大きい砂も細かい砂もあるが、たいてい大きいのは大きいの、細かいのは細かいのと類をもって集まっているのは、考えてみると不思議ではないでしょうか。波が砂をかきまぜているのに、どうして一様に交じらないでしょうか。よく考えてみると、これはやはり波が砂を選《よ》り分ける役をしているのです。水の底では波のために砂が絶えずおだてられているが、これが落ちる時は大きい粒のほうがいつでも早く落ちるから、長い間には大きいのはだんだん底になり、細かいのが上に残る事になる。このようにしてできた砂の層が大あらしなどの時にまたはがれて浜へ打ち上げられる時でも、細かいのと大きいのでは水に運ばれるのに遅速があって、いつでも選《よ》り分けられるような傾きがあるでしょう。
海岸では晴れた夏の日の午前にはたいてい風が弱くて、午後になると沖のほうから涼しい風が吹き出します。これは海軟風ととなえるもので、地方によりいろいろな方言があります。陸地の上の空気は海上よりも強くあたたまり、膨張して高い所の空気が持ち上がるから、そこで海のほうへあふれ出すので、それを補うため、下では海面から陸のほうへ空気が流れ込むのがすなわちこの風です。それだから海軟風の吹く前には、空の高い所では逆の風が吹き出すわけです。
海軟風は沖のほうから吹き始め、だんだん陸に近よって来ます。浜べはまだ風がなく蒸し暑くて海面が油を流したようにギラギラして、空を映している時、沖のほうの海面がきわ立って黒くなって来るのがよく見える事があります。これは沖から寄せて来る風のために、海面がさざ波立って空が映らなくなり、そのかわり海水の色が透いて見えるためであります。この黒い所が浜べに近づいて来ると、もうそよそよと涼しい風を感じるようになります。
浜べで見られるおもしろい現象もまだいろいろありますが、またいつかお話ししましょう。
[#地から2字上げ](大正七年八月、ローマ字少年)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1960(昭和35)年10月7日第1刷発行
初出:「ローマ字少年」
1918(大正7)年8月1日
入力:Cyobirin
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
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