はまれであると同じようなものであるまいか。
こんな事を考えるのはあるいは自分の子供の時に受けた「化け物教育」の薬がきき過ぎて、せっかく受けたオーソドックスの科学教育を自分の「お化け鏡」の曲面に映して見ているためかもしれない。そうだとすればこの一編は一つの懺悔録《ざんげろく》のようなものであるかもしれない。これは読者の判断に任せるほかにない。
伝聞するところによると現代物理学の第一人者であるデンマークのニエルス・ボーアは現代物理学の根本に横たわるある矛盾を論じた際に、この矛盾を解きうるまでにわれわれ人間の頭はまだ進んでいないだろうという意味の事を言ったそうである。この尊敬すべき大家の謙遜《けんそん》な言葉は今の科学で何事でもわかるはずだと考えるような迷信者に対する箴言《しんげん》であると同時に、また私のいわゆる「化け物」の存在を許す認容の言葉であるかとも思う。もしそうだとすると長い間封じ込められていた化け物どももこれから公然と大手をふって歩ける事になるのであるが、これもしかし私の疑心暗鬼的の解釈かもしれない。識者の啓蒙《けいもう》を待つばかりである。
[#地から3字上げ](昭和四年一
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