学や気象学の範囲からはだいぶ遠ざかるようである。しかし「天狗様のおはやし」などというものはやはり前記の音響異常伝播の一例であるかもしれない。
天狗和尚《てんぐおしょう》とジュースの神の鷲《わし》との親族関係は前に述べたが、河童や海亀《うみがめ》の親類である事は善庵随筆《ぜんあんずいひつ》に載っている「写生図」と記事、また※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭雑録《いんていざつろく》にある絵や記載を見ても明らかである。河童の写生図は明らかに亀の主要な特徴を具備しており、その記載には現に「亀のごとく」という文句が四か所もある。そうだとするとこれらの河童《かっぱ》捕獲の記事はある年のある月にある沿岸で海亀《うみがめ》がとれた記録になり、場合によっては海洋学上の貴重な参考資料にならないとは限らない。
ついでながらインドへんの国語で海亀《うみがめ》を「カチファ」という。「カッパ」と似ていておもしろい。
もっとも「河童《かっぱ》」と称するものは、その実いろいろ雑多な現象の総合とされたものであるらしいから、今日これを論ずる場合にはどうしてもいったんこれをその主要成分に分析して各成分を一々吟味した後に、これらがいかに組み合わされているか、また時代により地方によりその結合形式がいかに変化しているかを考究しなければならない。これはなかなか容易でないが、もしできたらかなりおもしろく有益であろうと思う。このような分析によって若干の化け物の元素を析出すれば、他の化け物はこれらの化け物元素の異なる化合物として説明されないとも限らない。CとHとOだけの組み合わせで多数の有機物が出るようなものかもしれない。これも一つの空想である。
要するにあらゆる化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。人間が進化するにつれて、化け物も進化しないわけには行かない。しかしいくら進化しても化け物はやはり化け物である。現在の世界じゅうの科学者らは毎日各自の研究室に閉じこもり懸命にこれらの化け物と相撲《すもう》を取りその正体を見破ろうとして努力している。しかし自然科学界の化け物の数には限りがなくおのおのの化け物の面相にも際限がない。正体と見たは枯れ柳であってみたり、枯れ柳と思ったのが化け物であった
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