った他の例は「鎌鼬《かまいたち》」と称する化け物の事である。
 鎌鼬の事はいろいろの書物にあるが、「伽婢子《おとぎぼうこ》」という書物によると、関東地方にこの現象が多いらしい、旋風が吹きおこって「通行人の身にものあらくあたれば股《もも》のあたり縦さまにさけて、剃刀《かみそり》にて切りたるごとく口ひらけ、しかも痛みはなはだしくもなし、また血は少しもいでず、うんぬん」とあり、また名字正しき侍にはこの害なく卑賤《ひせん》の者は金持ちでもあてられるなどと書いてある。ここにも時代の反映が出ていておもしろい。雲萍雑誌《うんぴょうざっし》には「西国方《さいごくがた》に風鎌《かざかま》というものあり」としてある。この現象については先年わが国のある学術雑誌で気象学上から論じた人があって、その所説によると旋風の中では気圧がはなはだしく低下するために皮膚が裂けるのであろうと説明してあったように記憶するが、この説は物理学者には少しふに落ちない。たとえかなり真空になってもゴム球か膀胱《ぼうこう》か何かのように脚部の破裂する事はありそうもない。これは明らかに強風のために途上の木竹片あるいは砂粒のごときものが高速度で衝突するために皮膚が截断《せつだん》されるのである。旋風内の最高風速はよくはわからないが毎秒七八十メートルを越える事も珍しくはないらしい。弾丸の速度に比べれば問題にならぬが、おもちゃの弓で射た矢よりは速いかもしれない。数年前アメリカの気象学雑誌に出ていた一例によると、麦わらの茎が大旋風に吹きつけられて堅い板戸に突きささって、ちょうど矢の立ったようになったのが写真で示されていた。麦わらが板戸に穿入《せんにゅう》するくらいなら、竹片が人間の肉を破ってもたいして不都合はあるまいと思われる。下賤《げせん》の者にこの災《わざわい》が多いというのは統計の結果でもないから問題にならないが、しかし下賤の者の総数が高貴な者の総数より多いとすれば、それだけでもこの事は当然である。その上にまた下賤《げせん》のものが脚部を露出して歩く機会が多いとすればなおさらの事である。また関東に特別に旋風が多いかどうかはこれも充分な統計的資料がないからわからないが、小規模のいわゆる「塵旋風《ちりせんぷう》」は武蔵野《むさしの》のような平野に多いらしいから、この事も全く無根ではないかもしれない。
 怪異を科学的に説明する事
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