もすればそのうわさは口から口へいわゆる燎原《りょうげん》の火のように伝えられるものである。三月三日に井伊大老《いいたいろう》の殺された報知が電信も汽車もない昔に、五日目にはもう土佐《とさ》の高知《こうち》に届いたという事実がある。今なら電報ですぐ伝わる。
知名の人の旅立ちでも、新聞があるために妙な見送り人が増して停留場が混雑する。この場合にも前と同じ事が言われうる。
展覧会、講演会、演芸、その他の観覧物も新聞広告で予告を受けて都合のいいものかもしれない。しかしこれらの大多数は十日ぐらい前からプログラムの作れぬものでもなし、またそうでなくても適当な掲示やビラによって有効に知らせる事ができる。一般の人々が毎朝起きて床の中でいながらに知らなければならない性質の事でもない。そういう刺激の目にふれないという事は、仕事に没頭している多くの人のためにはむしろ有利なくらいである。
こういう新聞広告がなくなっても、芝居やキネマの観客が減る心配はないという事は保証ができる。興行者と常習的観客の間には必ず適当な巧妙な通信機関がいろいろとくふうされるに違いない。
その他の多くの広告はたいてい日刊新聞に
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