最も必要な心持ちをすべての人からだんだんに消散させようとするような傾向のあるのはいかんともしがたい。もっとも大概の人間には真に対する潔癖はあるから、そういう不正確な記事はたまたまその潔癖を刺激してかえってそれを亢進《こうしん》させるような効果がある場合があるかもそれはわからない。また大多数の人は始めから新聞記事の正確さの「程度」をのみこんでいて、従って新聞の与える知識には、いつでもある安全係数《セーフティファクトル》をかけた上で利用するから、あまりたいした弊害はないと考えられるかもしれない。有数ないい新聞ならば実際そうかもしれない。しかし正確でなくてもいいからできるだけ早く知るということがどうして、またどこまで必要であるかという事がいちばんの先決問題になる。

 海外に起こった外交政治経済に関する電報は重要な新聞記事の一つである。こういうものがあらゆる階級の人に興味があるという事は望まるべき事でもあり、またそれが事実であるとしたところで、これらの報知を一日でも早く知る必要をほんとうに痛切に感ずる人が国民の中で何人あるかという事を考えてみなければならない。
 次には内国の政治経済産業方面に関する記事でも、大多数の国民が一日を争うて知らなければならないものがどのくらいのパーセントを占めているかを考えてみなければならない。
 全くとらわれない頭で冷静に考えてみた時に、これらの記事の大部分は、多数の「善良な国民」がたとえ一か月くらいおくれて知っても少しの不都合のないものであると私は考える。
 ただ国民の中でおそらくきわめて少数なある種のデマゴーグ的政治家、あるいは投機的の事業にたずさわるいわゆる「実業家」のうちの一部の人たちは、一日でも一時間でも他人より早くこれらの記事を知りたいと思うだろう。そういう人々の便宜を計るという事がかりにいいとしたところで、そういう人はよしや新聞を全廃してもおそらく少しも困る事はあるまい。それぞれ自分で適当な通知機関を設けて知るだけの事は知らなければ承知しないに相違ない。これに反して大多数の政党員ないし政治に興味をもつ一般人、それからまじめな商業や産業に従事している人たちにとってたとえば仏国の大統領が代わったとかニューヨークの株が下がったとか、あるいは北海道で首相が演説したとか議会で甲某が乙某とどんなけんかをしたとかいう事を、二週間あるいは一月お
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