れがために、英国や欧州のみならず世界じゅうにおける重要な出来事をあまりにおそく知ったために、著しい損をしたと思った事がまだないように思う。のみならず、こちらの新聞の電報欄の不徹底な記事で読んだ時はなんの事だかわからずにいたいろいろの事がらが、これを読んで始めてふに落ちる事もしばしばある。これはおそらく自分のような迂闊《うかつ》なものに限った事ではなく、始めにあげたようないわゆる善良にしてまじめな大多数の日本国民について同様に当てはまる事ではあるまいか。
もしそうだとすれば、内国におけるいわゆる重要な出来事を十日ないし一月おくれて、そのかわりまとまった形でかなり確実に知るという事もそれほど不都合であろうとは思われない。それで不都合を感ずる人はもちろんあってもそれは前に繰り返して指摘しておいた少数の除外例に過ぎない。そうしてそれらの人は日刊新聞がなくなったところで決して困りはしない。困るとしたところでそういう人々の便宜のために大多数の幸福を犠牲にする必要は少しもない。
あらゆる記事の中で、ほんとうにその日その日に知らなくては意味のないものは、捜してみると案外少ないものである。
まず天気予報などがその一つである。これは今のところ一週間も前から予報を出す事は困難であり、またきのうの天気予報はきょうにとっては無意味であるから、どうしてもこれだけは日々に知らしてもらう必要がある。もっとも天気予報というもののほんとうの意味や価値はとかく誤解されがちであって、てんで始めから当てにしていない人がかなり多数である。そういう人は天気予報など知る必要を感じないでもあろうが、多少でも天気予報の原理に通じ、予報の適用の範囲を心得ている人にとっては、これは時にとっては非常に重宝なありがたいものである。しかしこれとても必ずしも新聞によらなくても他に報知する方法はいくらでもある。処々の交番なり電車停留所に掲示するもいいだろうし、処々に信号の旗を立てるもいいだろう。
不幸の広告なども一週間とは待てない種類のものだと考えられるかもしれない。しかし私の考えでは、不幸の知らせは元来書状でほんとうの意味の知友にのみ出すべきもので、それ以外の人は葬式などがすんで後に聞き伝え、あるいは週刊旬刊でゆっくり知ってもたいしたさしつかえはないはずである。もしも国民の大多数の尊敬しあるいは憎悪するような人が死にで
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