だも工合がよくて、仕事がはかどり気持が明るかった。やはり病院よりは田舎の空気が安くて利き目がよかったのである。
 その後にもう一度、今度は浦和から志木《しき》野火止《のびどめ》を経て成増《なります》板橋の方へ帰って来るという道筋を選んでみた。志村から浦和まではやはり地図にない立派な道路が真直ぐに通っている。この辺の昔のままの荒川沿いの景色がこうしたモダーンな道路をドライヴしながら見ると、昔とはまた全く別な景色に見えるから妙である。道路が魔法師の杖のように自然を変化させるのである。
 志木の近くの水門で釣をしている人がある。運転手が橋の上で車を止めて通りかかった老爺《ろうや》に、何が釣れるかと聞いた。少し耳の遠いらしい老人は車の窓へ首を突込むようにして、「マアはやくらいだね。河が真直ぐになったからもう何も居ねえや」と云って眼をしょぼしょぼさせた。荒川改修工事がこの爺さんには何となく不平らしい。
 この日は少し曇っていて、それでいて道路の土が乾き切っているので街道は塵が多く、川越《かわごえ》街道の眺めが一体に濁っていた。
 巣鴨から上野へと本郷通りを通るときに、また新しい経験をした。毎週一、二度は必ず車で通る大学前の通りが、今日はいつもとはまるでちがった別の町のように珍しく異様にそうして美しく眺められた。その事を云いだすと二人の子供も「オヤ、ほんとにそうだ」と云って同意したから、強《あなが》ち自分だけの錯覚ではないらしい。田舎の景色を数十分見て来たというだけの履歴効果《ヒステレシス》で、いつも見馴れた町がこんなにちがって見えるのである。
「馬鹿も一度はしてみるものだ」と云われるかもしれない。馬鹿を一遍通って来た利口と始めからの利口とはやはり別物かもしれないのである。外国の文化にかぶれたものが、もう一遍立帰って来たときに始めて日本固有の文化の善い所が新しい眼で見直されるということもあるかもしれないのである。[#地から1字上げ](昭和八年十二月『文芸』)



底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
   1997(平成9)年2月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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