ったのも事実である。それは自分が悲しいのでなくてむしろ周囲の世界の悲しみが自分のからだに滲み込んで来るように思われるのであった。
 これが郷愁《ハイムウエー》というものだとはその時には気が付かなかった。

      ハルツの旅

 地理学の学生の仲間にはいって、ハルツを見に行った。霧の深い朝であった。霧が晴れかかった時に、線路の横の畑の中に一疋の駄馬がしょんぼり立っているのが見えた。その馬のからだ一面から真白な蒸気が仰山《ぎょうさん》に立ち昇っていた。並んで坐っていた連れの男は「コロッサアル、コロッサアル」と呟いていた。私は何となしに笑いたくなって声を出して笑った。連れの男は何遍となく「コロッサアル」を繰返しては湯気の立つ馬をまじまじ眺めていた。
 ウワルプルギスナハトには思ったような凄味《すごみ》はなかった。しかし思わない凄味がどこかにあった。お化けは居ないがヘクセンやエルフェンは居そうな気がした。ドクトル、ベエアマンはここで花崗岩の破れ目の出来方について講釈をして聞かせた。
 あらかた葉をふるったぶな[#「ぶな」に傍点]の森の中を霧にしめった落葉を踏みしめて歩いた。からだの弱そうなフロイラインWは重いリュクサックの紐に両手をかけて俯向《うつむ》きがちに私の前を歩いていた。ブルガリヤから来ているチンネフ君は、いろいろ日本の事を聞きたがって私と並んで足を揃えて歩いた。聞かれてみると私は日本の事を何にも知らないのであった。……
 日暮れにツウム・ワイセン・ヒルシュという宿屋についた。食後にみんなが学生の唱歌を歌った。アフリカに行っていたドクトルMはズアヘリ土人の歌というものを歌って聞かせたが、それがどれだけ本当のものに似ているかそれは誰にも分らなかった。日本の歌を聞かせろというので、仕方なしにピアノで君が代のメロディだけ弾いたら、誰かが大変悲しい感じがするではないかと云った。
 チンネフ君と一つの室に寝た。室には電燈も何もなかった。蝋燭《ろうそく》を消したら真暗になった。ひしひしと夜寒が身に沁みた。チンネフ君はベットに這入《はい》ってから永い間ゴソゴソ音を立てて動いていたが、それがどうしているのだか、異国人の自分にはどうしても想像が出来なかった。
 翌日はレエゲンシタインの古城を見に行った。ただ一塊りの大きな岩山を切り刻んで出来たものである。何となしに鬼ヶ島を思わせ
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