ればよいのである。さういふ平凡な眞理を體驗する爲に、此れだけの手數が掛かつたといふ譯である。あたまが惡いと云はれても申開きはない次第である。
 併し、何か「しなかつたこと」をすると屹度、何かしら一つ「ものを覺える」から妙である。

 歸京後疲勞がすつかり直つて見ると、からだの工合が近頃覺えない程よくなつて仕事の進捗もよくなつた。温泉が利いたのか、それとも宿屋で受けた色々の「教育」が利いたのかも知れない。さうだとすると、矢張り土曜日に出かけて人に揉まれに行く方が存外いゝ事になるかも知れない。


 或る科學の大家に其の弟子の一人が「仕事が行詰まりになつて困つた時はどうすればいゝでせう」と聞いたのに答へて「Do something なんでもいゝ。何かをどうかし玉へ。あとはひとりで途が明いて來る」と云つたさうである。自分の健康の行詰まりには此度の伊香保がサム・シングであつたのである。世界の行詰まりを救ふサム・シングを世界中の爲政者や思想家やが試みてゐるが、此の利目は未だわからないやうである。
 東京踊なども矢張り此のサム・シングの一つではあるかも知れない。



底本:「現代日本紀行文学全集
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