を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るタイプの、無邪氣で善良で、人に迷惑をかけるのを人情の厚い證據とするアルトルイスト日本國民のすることである。併し不人情でエゴイストの自分等のやうなものには迷惑なのである。此れは浴槽を適當に一段高くしておけば問題はなくなるであらう。
 序に、かうした宿屋には鐵筋コンクリートの階段と舞踊室、外へ聲の漏れぬ蓄音機演奏室などを設けたら自分等のやうな我儘者の爲にはいゝと思ふが、それでも騷ぎたい人達には張合がなくていけないかもしれない。
 結局、最も平凡で簡單で最も有效な解決法としては、自分のやうなものは土曜日曜祭日などにかういふ處へ行かないやうにすればよいのである。さういふ平凡な眞理を體驗する爲に、此れだけの手數が掛かつたといふ譯である。あたまが惡いと云はれても申開きはない次第である。
 併し、何か「しなかつたこと」をすると屹度、何かしら一つ「ものを覺える」から妙である。

 歸京後疲勞がすつかり直つて見ると、からだの工合が近頃覺えない程よくなつて仕事の進捗もよくなつた。温泉が利いたのか、それとも宿屋で受けた色々の「教育」が利いたのかも知れない。さうだとすると、矢張り土曜日に出かけて人に揉まれに行く方が存外いゝ事になるかも知れない。


 或る科學の大家に其の弟子の一人が「仕事が行詰まりになつて困つた時はどうすればいゝでせう」と聞いたのに答へて「Do something なんでもいゝ。何かをどうかし玉へ。あとはひとりで途が明いて來る」と云つたさうである。自分の健康の行詰まりには此度の伊香保がサム・シングであつたのである。世界の行詰まりを救ふサム・シングを世界中の爲政者や思想家やが試みてゐるが、此の利目は未だわからないやうである。
 東京踊なども矢張り此のサム・シングの一つではあるかも知れない。



底本:「現代日本紀行文学全集
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