なければ全くわからないが、窓のながめのよしあしぐらいは自分の目で見つけ出し選択する自由を許してもらいたいような気もした。
 ベデカというものがなかった時の不自由は想像のほかであろうが、しかしまれには最新刊のベデカにだまされる事もまるでないではない。ある都の大学を尋ねて行ったらそこが何かの役所になっていたり、名高い料理屋を捜しあてると貸し家札が張ってあったりした事もある。杜撰《ずざん》な案内記ででもあればそういう失敗はなおさらの事である。しかし、こういう意味で完全な案内記を求めるのは元来無理な事でなければならない。そういうものがあると思うのが困難のもとであろう。
 それで結局案内記がなくても困るが、あって困る場合もないとは限らない。
 中学時代に始めての京都見物に行った事がある。黒谷《くろだに》とか金閣寺《きんかくじ》とかいう所へ行くと、案内の小僧さんが建築の各部分の什物《じゅうもつ》の品々の来歴などを一々説明してくれる。その一種特別な節をつけた口調も田舎者《いなかもの》の私には珍しかったが、それよりも、その説明がいかにも機械的で、言っている事がらに対する情緒の反応が全くなくて、説明者が
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