マンが引率して近郊の地質地理見学に出掛けた。ペンクの足の早いのとベーアマンの口の早いのとに悩まされたが、ずいぶん色々とためにはなった。
 学生の有志の見学団で毎週のようにいろいろの見学参加募集をする。その広告が大学の玄関に貼り出される。当時は世界第一であったナウエンの無線電信発信所を見物したのもこの見学団の一員としてであった。テレフンケン・システムの大きな蛇のようなスパークがキュンキュンと音を立ててひらめいては消えるのを見た。同じ団体にはいってヘッベルの劇場の楽屋見学をしたときは、奈落《ならく》へ入り込んでモーターで廻わす廻り舞台を下から仰いだり、風の音を出す器械を操縦させてもらったりした。音を出すのは器械だが、音を風音らしくするのはやはり人間の芸術らしいと思われた。
 三学期一年半のベルリン大学通いは長いようでもありまた短いようでもあった。たいそう利口になったようでもありまた馬鹿になったようにも思われた。引上げてゲッチンゲンへ移るときはさすがに名残惜しい気がするのであった。
 マルシャル橋や王宮橋から毎日のように眺め見下ろしたスプレーの濁り水に浮ぶ波紋を後年映画「ベルリン」の一場面で見せられたときには、往年の記憶が実になまなましく甦《よみがえ》って来るのを感じたのであった。[#地から1字上げ](昭和十年五月『輻射』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
初出:「輻射」
   1935(昭和10)年5月
※底本編集時に、亀甲括弧付きで以下の箇所に添えられた注は、削除しました。
 「Wollen Sie dort anschliessen ?〔後に続きますか〕」
 「D. Berolini d. 19. mens. V anni MDCCCCIX〔ベルリン、一九〇五年五月十九日〕」
 「Na ! Sehen Sie mal zu.〔まあみててごらん〕」
 「Sehrgemeiner Kerl〔大凡人〕」
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
2009年9月15日修正
青空文庫作成ファイル:
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