を物語って聞かせたら聞くものひどく感動して号泣し、そうして彼はいよいよ神様だということになった。地下室にいた間は母にたのんで現世の出来事に関する詳細なノートをとって、それを届けてもらって読んでいたという話も伝えられている。これではまるで詐欺師であるが、これはおそらく彼の敵のいいふらした作り事であろう。
 ピタゴラス派の哲学というものはあるが、ピタゴラスという哲学者は実は架空の人物だとの説もあるそうで、いよいよ心細くなる次第であるが、しかしこのピタゴラスと豆の話は、現在のわれわれの周囲にも日常頻繁に起りつつある人間の悲劇や喜劇の原型《プロトタイプ》であり雛形《モデル》であるとも考えられなくはない。色々の豆のために命を殞《おと》さないまでも色々な損害を甘受する人がなかなか多いように思われるのである。それをほめる人があれば笑う人があり怒る人があり嘆く人がある。ギリシャの昔から日本の現代まで、いろいろの哲学の共存することだけはちっとも変りがないものと見える。[#地から1字上げ](昭和九年七月『東京日日新聞』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:砂場清隆
2005年6月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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