が暗くなるくらいで、杖《つえ》という杖の中でもこういうばあさんの杖などは最もみじめな杖であろう。
親類のじいさんで中風《ちゅうぶう》をしてから十年も生きていたのがあった。それが寒い時候にはいつでも袖無《そでな》しの道服を着て庭の日向《ひなた》の椅子《いす》に腰をかけていながら片手に長い杖を布切れで巻いたのを持って、そうしていつまでもじっとしたままで小半日ぐらいのあいだ坊主頭を日に照らしていた。あたまの上にはたいてい蠅《はえ》が一匹ぐらいとまっていた。そういう夢のような幼時の記憶があるが、このように腰をかけながらついている杖などは杖としての珍しい用途であろう。力学的に考えるとやはりからだの安定を保つために必要な支柱の役をしていたに相違ない。
しかしこういうあらゆる杖に比べると、いわゆるステッキほどわけのわからない品物はないと思われる。屈強の青壮年が体重をささえるために支柱とするはずはないからである。もっとも銀座アルプスのデパートの階段などを上る時は多少の助けになるかもしれないが、そういう時でも彼らは必ずしもステッキの先端を床に触れているとは限らないのである。
西洋でいつのころから今のようなステッキが行なわれだしたものか知らないが、ロココの時代には貴婦人がたがリボン付きの長い杖をついている絵がある。またそのころのやさ男が粉をふりかけた鬘《かずら》のしっぽをリボンで結んで、細身のステッキを小脇《こわき》にかかえ込んで胸をそらして澄ましている木版絵などもある。とにかくあのころ以後はずっと行なわれて今日に至ったものであろう。いずれにしても人間がみんな働くのに忙しくて両方の手がいつもふさがっているような時代には全然用のないものであったに相違ない。人間の社会生活が進歩した結果として、何もしないで楽に遊んでいられる人間が多数に存在するようになると、今まで使っていた手が暇になって、全く言葉どおりに手持ちぶさたを感じる。そうかといって太平のシャンゼリゼーの大通りやボアの小道を散歩するのに、まさか弓矢や人殺し用の棍棒《こんぼう》や台所用のパン棒を携えるわけにも行かないから、その代わりに何かしら手ごろな棒きれを持つことになったのではないかとも想像される。とにかく昔のシナでは杖《つえ》の字は「持」の字と同じで手に持つものならなんでも「杖」であったらしい。
しかし、太平の世の中でもま
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