が無意識な軽微の慢性的郷愁と混合して一種特別な眠けとなって額をおさえつけるのであった。この眠けを追い払うためには実際この一杯のコーヒーが自分にはむしろはなはだ必要であったのである。三時か四時ごろのカフェーにはまだ吸血鬼の粉黛《ふんたい》の香もなく森閑としてどうかするとねずみが出るくらいであった。コンディトライには家庭的な婦人の客が大多数でほがらかににぎやかなソプラノやアルトのさえずりが聞かれた。
国々を旅行する間にもこの習慣を持って歩いた。スカンディナヴィアの田舎《いなか》には恐ろしくがんじょうで分厚《ぶあつ》でたたきつけても割れそうもないコーヒー茶わんにしばしば出会った。そうして茶わんの縁の厚みでコーヒーの味覚に差違を感ずるという興味ある事実を体験した。ロシア人の発音するコーフイが日本流によく似ている事を知った。昔のペテルブルグ一流のカフェーの菓子はなかなかにぜいたくでうまいものであった。こんな事からもこの国の社会層の深さが計られるような気がした。自分の出会った限りのロンドンのコーヒーは多くはまずかった。大概の場合はABCやライオンの民衆的なる紅茶で我慢するほかはなかった。英国人が常識的健全なのは紅茶ばかりのんでそうして原始的なるビフステキを食うせいだと論ずる人もあるが、実際プロイセンあたりのぴりぴりした神経は事によるとうまいコーヒーの産物かもしれない。パリの朝食のコーヒーとあの棍棒《こんぼう》を輪切りにしたパンは周知の美味である。ギャルソンのステファンが、「ヴォアラー・ムシウ」と言って小卓にのせて行く朝食は一日じゅうの大なる楽しみであったことを思い出す。マデレーヌの近くの一流のカフェーで飲んだコーヒーのしずくが凝結して茶わんと皿《さら》とを吸い着けてしまって、いっしょに持ち上げられたのに驚いた記憶もある。
西洋から帰ってからは、日曜に銀座《ぎんざ》の風月《ふうげつ》へよくコーヒーを飲みに出かけた。当時ほかにコーヒーらしいコーヒーを飲ませてくれる家を知らなかったのである。店によるとコーヒーだか紅茶だかよほどよく考えてみないとわからない味のものを飲まされ、また時には汁粉《しるこ》の味のするものを飲まされる事もあった。風月ではドイツ人のピアニストS氏とセリストW氏との不可分な一対がよく同じ時刻に来合わせていた。二人もやはりここの一杯のコーヒーの中にベルリンないしラ
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング