のように多種多様な地質気候がわずかな距離の範囲内で錯雑した国であってこそ、はじめて風景という言葉がほんとうに生きて働いて来るような気がするのである。こういう風景国日本に生まれた旅客にカメラが欠くべからざる侶伴《りょはん》であるのも不思議はないであろう。
 親譲りの目は物覚えが悪いので有名である。朝晩に見ている懐中時計の六時がどんな字で書いてあるかと人に聞かれるとまごつくくらいであるが、写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい。一秒の五十分の一くらいな短時間にでもあらゆるものをすっかり認めて一度に覚え込んでしまうのである。
 その上にわれわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである。たとえばショーウィンドウの内の花を写すつもりでとった写真を見ると、とるつもりの夢にもなかったあらゆる街頭の人影の反映が写っているのである。盛り場である人がなんの気なしにとった写真に掏摸《すり》が椋鳥《むくどり》のふところへ手を入れたのがちゃんと写っていたという話を聞いたこともある。
 記憶のいい写真の目にもしくじりはある。
 飛行船が北氷洋上で氷原をとった写真を現像したら思いもかけぬ飛行機の氷の上に横たわる姿が現われたので、これはきっと先年行くえ不明になった有名な老探検家の最後を物語るものだろうという事になったが、よくよく調べてみると、これは写真技師がうっかり一枚のフィルムに二度写しをやったために、平凡な無事な飛行機の幽霊が極北の氷上に出現したことになったのだそうである。われわれの記憶にはこんな失策は有りがちであるが、このようなカメラの思いちがいは珍しい。活動映画のオーヴァーラップの技巧はつまり故意にこのカメラの記憶のアベレーションを利用して観客の心のアベレーションを誘発しようとするのであろう。このごろのアサヒグラフの表紙裏に出ている二重写しのお慰みの当てものなどはいちばん罪が浅いほうであろう。
 カメラをさげて歩いている途中で知人に会ってちょっと立ち話をするとする。そのとき、相手の人によると自分のカメラをさげていることなどにはあまり無関心なように見えるが、また人によると、何よりも第一にすぐ写真機に目をつける人もある。同病相哀れむゆえんであろうか。
 いちょうの黄葉は東京の名物である。しかしいくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない。そのいちょうも次第に落葉して、箒《ほうき》をたてたようなこずえにNWの木枯らしがイオリアンハープをかなでるのも遠くないであろう。そうなれば自身の寒がりのカメラもしばらく冬眠期に入って来年の春の若芽のもえ立つころを待つことになるであろう。
[#地から3字上げ](昭和六年十一月、大阪朝日新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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