た。始めて、幾何学のピタゴラスの定理に打《ぶ》つかった時にはそれでも三週間頭をひねったが、おしまいには遂にその証明に成効した。論理的に確実なある物を捕える喜びは、もうこの頃から彼のうら若い頭に滲み渡っていた。数理に関する彼の所得は学校の教程などとは無関係に驚くべき速度で増大した。十五歳の時にはもう大学に入れるだけの実力があるという事を係りの教師が宣言した。
 しかし中等学校を卒業しないうちに学校生活が一時中断するようになったというのは、彼の家族一同がイタリアへ移住する事になったのである。彼等はミランに落着いた。そこでしばらく自由の身になった少年はよく旅行をした。ある時は単身でアペニンを越えて漂浪したりした。間もなく彼はチューリヒのポリテキニクムへ入学して数学と物理学を修める目的でスイスへやって来た。しかし国語や記載科学の素養が足りなかったので、しばらくアーラウの実科中学にはいっていた。わずかに十六歳の少年は既にこの時分から「運動体の光学」に眼を付け初めていたという事である。後年世界を驚かした仕事はもうこの時から双葉《ふたば》を出し初めていたのである。
 彼の公人としての生涯の望みは教員
前へ 次へ
全27ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング