それともまた昔のロプ・ノールに注いでいた川がその後に流路を変じてその下流に別の湖水を作り元の湖水が干上《ひあ》がってしまったかの問題が起こった。一八九九年の探険でスウェン・ヘディンがタリム川の流路を追跡して行った時、川がある点から急角度で南東に曲がって、そうして砂漠の南のほうに湖水を作っているのを見いだし、それがプルジェワルスキーの見たのと同じものだとわかった。しかしタリム川の急に曲がった所から東のほうへかけてまさしく干上がった川床らしいもののある事に注意した。一九〇〇年に、もう一度そこへ行ってこの旧河床の地図を作り、これが昔のタリムの残骸《ざんがい》である事を結論した。それからもう一度ロプ・ノールへ行ってよく観察して見ると、水がきわめて浅くそうしてだんだんに沈積物で埋まりつつあるらしく見えた。そこから砂漠《さばく》を北に横ぎって行くうちに偶然都市の廃趾《はいし》らしいものを発見した。それが昔の楼蘭《ローラン》であることは発掘の文書で明らかになった。この死市街の南から東へかけた平坦《へいたん》な砂漠の水準測量をやった結果、これが昔の湖水の跡だということが推論された。それでヘディンは、タ
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