オた。その頃彼の父は彼に農業の趣味を養うために郷里で豚を飼わせ、その収入を彼の小使銭に充《あ》てた。この銭は多くは化学材料を買うために費やされ、ある時は燐《りん》で指を焼いた。後年ケルヴィン卿が化学会の晩餐演説でこの事を引合に出し、レーリー卿は十二歳のときに燐で指を焼いたそうだが、自分は八十二歳のときに全く同じ火傷《やけど》をしたと云った。
十四歳のとき Harrow に入ったが、二年級になってから胸の病を得て退学した。生命もどうかと気遣われたが幸いに快癒したので今度は Rev. G. T. Warner の学校に入ってそこで四年間の修業をした。その間に一度 Cambridge の Trinity College におけるある Minor Scholarship の試験を受けたが失敗した。師の Warner は「今度はいけなかったが決して二度とは失敗しまい」と云った。その頃の彼の悪戯《いたずら》の傑作は、Milton の sonnets をそのまま自作のような顔をして田舎新聞に投書したことである。勿論新聞は夢にも知らずにそれを掲載した。
十五歳の頃から写真を始めてかなり身を入れてや
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