仮定しなければこの現象は説明し難いと言っているのは注目すべきである。またもし霊魂なるものが肉体へ突然入り込んで来るものであるとすると、一人の子供がまさに出産しようとする際には、いくつもの霊魂が産婦の枕《まくら》もとに詰めかけて、おれがおれがと争うであろうと言っているのは読者をしておのずから破顔微笑させるものがある。
さて、霊魂が母体とともに死滅してしまうとすれば、死は少しも恐ろしくなくなってしまう。ローマが勝とうがカルタゴが勝とうが、霊肉飛散した後の我れにはなんのかかわりもない。たとえわが精神の元子は元子として世界のどこかに存在していても、肉を離れて分解した元子はもはや「我れ」ではない。もっとも、現に我れを構成していたすべての元子が、測るべからざる未来において、偶然に再び元のとおりに結合して今の我れと同じものも作るような事はありうるかもしれないが、その再生した我れが、前生の我れを記憶していようとは思われない。
死後に自分の死を悲しむべき第二の我れは存しないからわが死は我れにとって悲しみでない。死とともに欲望も死ぬるから、だれも、満たされなかった望みに未練を感ずるものはない。そしてた
前へ
次へ
全88ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング