述べている。酒は流れやすいのに油が流動しにくいのは、後者の元子が「曲がりもつれ合っている」ためであると考えている。すなわち液体粘度の差を原子の形状から説明しようというのであるが、この問題は現在においても実はまだ充分には解決されていないものである以上、われわれは軽卒に彼の所説を笑う事はできない。
 われわれの官能を刺激する光、音、香、味は、いずれもおのおの目的物から飛来する元子による一種の触覚であるという考えである。そして、すべてわれわれに快い感覚を与える光音香味の元子は丸くなめらかであり、不快に感ぜらるるものの元子は角《かど》があり粗鬆《そしょう》であると考える。暑さと寒さの元子はいずれも刺《とげ》がある。その刺のある様子がちがうというような考えである。これらはもちろんかなり勝手な想像ではある。しかしたとえば芳香属《アロマティック》の有機化合物に共通なる環状分子構造のことなどを考えてみると、少なくも嗅覚《きゅうかく》味覚のごとき方面で、将来このような考えがなんらかの意味で確かめられないとは保証し難いように思われる。音や光でさえも、音波の形が音色を与え、光波の波長の大小が色彩を与える事を考えると、今より百年後の生理学の立場から見てあるいはルクレチウスの言葉を適当に翻訳する事ができるようになりはしないか。不規則に角立《かどだ》った音波は噪音《そうおん》として聞かれ、振動急速な紫外線は目に白内障をひき起こす。その何ゆえであるかは完全には説明されていないではないか。いわんや光の量子説の将来は未知数である。現に光の網膜に対する作用が光電《フォトエリクトリック》現象であるとかないとかいう議論が行なわれつつある。もしそうであるとすれば、その場合の光は結局素量的であって、すなわち光の元子である。その波の量子エネルギーを定める振動数はある意味での量子の「形」とも見られるのではあるまいか。
 それはとにかくすべての感覚を、器械的現象に引きならしてしまおうとしているところに、われわれはルクレチウスの近代科学的精神の発現を認めなければならない。
 次には、固体元子は曲がりあるいは分岐しているのに対して液体の元子は丸くなめらかであるとしている。これも、一方に結晶体の原子格子《げんしごうし》の一小部分を考え、他方に液体の分子集合の緩舒《かんじょ》な状態を考えれば、ある度まではあたっていると言わ
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