lの業績ではない。しかしその最初のプランを置き最初の大黒柱を立てたものは、おそらくルクレチウスの書物の内容を寄与したエピキュリアンの哲学者でなければならない。人はアリストテレスやピタゴラスをあげるかもしれない。前者は多くの科学的素材と問題を供し後者は自然の研究に数の観念を導入したというような点で彼らもまた科学者の祖先でないとは言われない。しかし彼らの立っていた地盤は今の自然科学のそれとはむしろ対蹠的《たいせきてき》に反対なものであったように見える。形而上学的《けいじじょうがくてき》の骨格に自然科学の肉を着けたものという批評を免れることはむつかしい。しかしそういう目的論的形而上学的のにおいをきれいに脱却して、ほとんど現在の意味における物理的科学の根本方針を定めたものはおそらくエピクロス派の人々でなければならない。彼らは少なくも現在の科学の筋道あるいは骨格をほとんど決定的に定めてしまったとも言われる。後代の学者はこれに肉を着け皮を着せる事に努力して来たようにも見られる。
この大設計は決して数学や器械の力でできるものではなくて、ただ哲人の直観の力によってできうるものである。古代の哲学者が元子の考えを導き出したのは畢竟《ひっきょう》ただ元子の存在を「かぎつけた」に過ぎない。そして彼らが目を閉じてかぎつけた事がらがいよいよ説明されるまでには実に二千年の歳月を要したのである。
真理をかぎつける事の天才はファラデーであった。しかし彼の直観の能力に富んでいたという事は少しも彼の科学者としての面目を傷つけるものではなかった。彼がもし真理に対する嗅覚《きゅうかく》を恥としたのであったら、十九世紀の物理学の進歩はたぶん少なからず渋滞をきたしたに相違ない。
ファラデーはしかし彼の直観を周到厳重な実験の吟味にかける事を忘れなかった。この事がなかったら彼はおそらく十九世紀の科学者であり得なかったに相違ない、ところでデモクリトス、エピクロス、ルクレチウスはたしかにファラデーのような実験はしなかった。そういう意味では彼らは明らかに科学者ではあるまい。しかしもし彼らがその驚くべき直観の力を具有してしかしてガリレー以後に生まれ、ファラデーの時代に生まれたと仮定したらどうであろう。
もっともルクレチウスを科学者と名づけるか、名づけないかというような事は実はどうでもよい事で、またどうでも言える事で
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