ルクレチウスと科学
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)耶蘇紀元《やそきげん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)友人|安倍能成《あべよししげ》君の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)(1)[#「(1)」は注釈番号]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Lucre`ce newtonien〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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     緒言

 今からもう十余年も前のことである。私はだれかの物理学史を読んでいるうちに、耶蘇紀元《やそきげん》前一世紀のころローマの詩人哲学者ルクレチウス(紀元前九八―五四)が、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵《みじん》の混乱状態を例示して物質元子(1)[#「(1)」は注釈番号]の無秩序運動を説明したという記事に逢着《ほうちゃく》して驚嘆の念に打たれたことがあった。実に天下に新しき何物もないという諺《ことわざ》を思い出すと同時に、また地上には古い何物もないということを痛切に感じさせられたのであった。
 その後に私は友人|安倍能成《あべよししげ》君の「西洋哲学史」を読んで、ロイキッポス、デモクリトス、エピクロスを経てルクレチウスに伝わった元子論の梗概《こうがい》や、その説の哲学的の意義、他学派に対する関係等について多少の概念を得る事ができた、と同時にこの元子説に対する科学者としての強い興味を刺激された。しかしてこの説の内容についてもう少し詳しい知識を得たいという希望をもっていたが、われわれのような職業科学者にとっては、読まなければならない新しい専門的の書物があまりに多いために、どうも二千年前の物理学を復習する暇がないような気がして、ついついそのままになっていたのである。
 ところが、昨年の夏であったか、ある日|丸善《まるぜん》の二階であてもなくエヴリーマンス・ライブラリーをあさっているうちに
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Lucretius: Of the Nature of Things. A Metrical Translation by William Ellery Leonard.
[#ここで字下げ終わり]
というのが目
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