間にか消滅して、今度は自分の方が寄席《よせ》の方へ「行ってしまう」から、そうなればもう不自然な感じはなくなってしまうのである。しかし家庭の日常生活の中へ突然に、全く不連続的にそういう異分子が飛込んで来るときに、われわれはやはりそういうちぐはぐを感じない訳には行かないであろう。もっとも従来|蓄音機《ちくおんき》などで始終こういうものに馴れていれば何でもないであろうが、自分の場合はそうでもなく、またラジオでそういうものを聞く回数がきわめて稀なためであるに相違ない。これが西洋音楽だとちっともそういう気持はしないのである。
 聞きたいと思う音楽放送がたまにあると、その時刻にちょうど来客があって聞かれないような場合がかなりに多い。来客がない時はまた何かに紛れて時刻をやり過ごし、結局聞かれない場合もかなりに多い。もしも、これが、どこかへ演奏会を聴きに行くのだと、来客は断れるし、仕事は繰合せて、そうして定刻前には何度も時計を見るであろう。しかしこれがラジオであるために、こういうことになるのである。つまりあまりに事柄が軽便すぎて事柄の重大さがなくなるのであろう。パチリと一つスウィッチを入れさえすれば、
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