日比谷公会堂の演奏、歌舞伎座の演技が聞かれるからである。昔の山の手の住民が浅草の芝居を見に行くために前夜から徹夜で支度して夜のうちに出かけて行った話と比較してみるとあまりにも大きな時代の推移である。しかしそういう昔の人の感じた面白さと、今のラジオを聞く人の面白さとの比較はどうなるかそれは分からない。
 同じようなことは外にもある。教育でも機関が不完全で不便な時代に存外真剣な勉強家が多くて、あまりに軽便に勉強の出来る時代にはまた存外その割に怠け者が多いようなものである。キリシタンを禁じた時代の宗教の熱心さと、信仰の自由を許されて後の信徒の熱心さとの比較でもそうである。自由を許したとて、信徒の数にしても決してそう驚くほど多くはならないのである。
 こういう意味からすると、ラジオが出来たためにわれわれの音楽を聴くことの享楽をいくぶん破壊されたとも云われるかもしれない。教育機関の立派になったお蔭でわれわれは学問することの法悦《ほうえつ》を奪われたというと同じ逆説的な申分ではあるが、いくらかそういう感じがなくはないであろう。
 以上のような理由からして、自分と自分の宅のラジオとの交渉はかなり疎遠なものであった。それで時々故障が起っても、別に大した不便を感じないのであるが、それでもやはりその時々に修繕のために元買った百貨店へ持って行った。それが修繕する度に眼に見えて機械の感度が悪くなるのであった。それでいつか放送局でラジオ相談所として推薦した本郷の某ラジオ屋へ試みに修繕に出したら、今度は断然|桁《けた》ちがいに感度を低下してしまって、もう拡声器では聞かれなくて、テレフォンでやっと聞こえるようになってしまった。機械を調べてみると、何とかいうあの蜘蛛の網《い》の形をした捲線《まきせん》が新しく取換えられてあるのである。使いをやって元の古い捲線を返してくれと云ってやったら、「あれは捨ててしまった」と云って、そうして何故かひどく不機嫌であったそうで、使いの者はほうほうの体で帰って来た。
 それからまた元の百貨店へ持って行くと、やがて、完全になったと云って返して来る。やってみると、あいかわらずちっとも聞こえない。
 この事柄の理由は明白である。元の機械は相当感度がよかったために、アンテナはわずかに二メートルくらいの線を鴨居《かもい》の電話線に並行させただけで、地中線も何もなしに十分であっ
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