のだという。相手がウニコールであるとは云いながら甚だ罪の深い仕業であると云わなければならない。

         五

 三四三頁にはこんな事がある。
 スマトラのドラゴイア人の中で病人が出来ると、その部落の魔法使いを呼んで来て、その病気が治るか治らないかを占《うらな》わせる。もし不治と云えばその病人の口を蒸《む》して殺してしまう。そして親類中が寄ってその死体を料理して御馳走になる云々。
 役人や会社銀行員があるただ一人の長上から無能と宣言されただけで首をきられる。するとその下の地位にいる同僚達は順繰りに昇進してみんな余沢《よたく》に霑《うるお》うというような事があるとすると、それはいくらかはこのドラゴイアンの話に似ている。

         六

 三四四頁には尻尾《しっぽ》のある人間の事が出ている。犬の尻尾くらいの大きさだが毛が生えていないとある。譬喩的《ひゆてき》には今でも大概の人間がみんな尻尾をぶら下げて歩いている。これは誰も知る通りである。
 三五八頁には右の手を清浄な事に使い、左の手を汚《けが》れに使う種族の事がある。
 これもある意味では世界中の文明人が今現にやっている習俗と同じ事である。
 三五九頁にはこんな事がある。
 債務者が負債を払わないで色々な口実を設けて始末のわるい場合がある。そういう場合に債権者は債務者の不意を襲うてその身辺に円を画《えが》く。すると後者はその債務を果たすまでその円以外に踏み出す事が出来ない。もし出れば死刑に処せられる。
 こういう法律は今日では賛成者が少なそうに思われる。債務者の方が多数だから。

         七

 三七二頁には次のような話がある。
 ある宗派の修道者が、人から、何故死体を火葬にするかという理由を聞かれた時にこう答えた。死骸をそのままにしておけば蛆《うじ》がわく。然るに蛆が食うだけ食ってしまっておしまいにその食物が尽きるとそれらの蛆がみんな死んでしまわなければならない。これは甚だ殺生《せっしょう》であるからいけない。
 同じような立場から云うと、基礎の怪しい会社などを始めから火葬にしないでおいたためにおしまいに多数の株主に破産をさせるような事になる。これも殺生な事であると云わなければならない事になる。
 こんな話の種を拾い出せばまだまだ面白いのがいくらでも出て来る。
 あまりあてにならないような古い昔の異郷の奇習の物語が一々現代の吾々の生活にかすかながらある反響のようなものを伝えるのが不思議と云えば不思議でもある。「天《あめ》が下《した》に新しいものはない」というのはこういう事を指していうのかもしれない。
 もう少しよく捜したら貴重な未来の新思想の種子がこの忘れられた古い書物の中からいくらも拾い出せそうな気もする。[#地から1字上げ](大正十一年四月『解放』)



底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
   1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング