心のいい人は毒瓦斯に充ちた工場で平気で働き、不用心な人は大地で躓《つまず》いてすべって頭を割るのであろう。

         三

 「心境の変化」という言葉が近頃一時|流行《はや》った。「気が変った」というのと大した変りはないが新しい言葉には現代の気分があると見える。「私の心境が変化した」というのは客観的な云い方であり、自分の心を一つの現象として記述するという点でともかくもいくらか科学的であるとT君がいう。なるほど、そう云えば「結婚をやめた」「中止した」というよりも「結婚が解消した」という云い方がやはり客観的現象的であり科学的であるかもしれない。「憂鬱になった私である」といったような不思議な表現の仕方も、そう考えるといくらか了解出来るようである。

         四

 流行言葉《はやりことば》の中でも「ソートーナモンジャ」と「ドーカと思うね」には、どこか科学的なスケプチシズムの匂いがある。円タクで白山坂上《はくさんさかうえ》にさしかかると、六十恰好の巌丈な仕事師上がりらしい爺さんが、浴衣《ゆかた》がけで車の前を蹣跚《まんさん》として歩いて行く。丁度安全地帯の脇の狭い処で、車を
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