ったりして記憶する上にもよかった。だがこんな事は決して、自分ながらも結構な事とは思っていぬのだから、読者諸君においてもこのへんのところはよく参酌《さんしゃく》して、そのうちのよい点だけを取るようにしてもらいたい。
 ただ規則正しく勉強する者の中には、毎日その日のノートを繰り返して、授けられた点だけを暗記しようとする者もあるようだが、自分はそういう方法を取らずに、なるべく講義にしてもだいたいの一段落を告げた時、前から筆記しておいたぶんと連絡して、一度に続けて読むようにした。この連絡をはかるという事は物を記憶する上に、もっとも必要であって、キレギレになった断片的のものをくわしくのみ込もうとするより、むしろその事がらの一段落を告げた後、あわせて読むようにしたほうが、前後関連して理解する上にも都合がよし、記憶をもまた非常に助けるものである。
 自分の中学時代は、あまりからだが丈夫でなかった、運動も別にせなかった。学校における運動時間はほとんど義務的で、運動については全く興味を持たなかった。もっとも小学校時代から鉱物、昆虫などの採集には非常に興味を持っていて、時々近所へ採集に出かけたものだ。今も郷里の家にはこれらの標本がよほど残っているくらいで、少しはこんな事が運動になったのかもしれぬ。その代わり、滋養物はできうるだけ多く取った。それがため、からだの弱かったわりに、そう病気にもかからなかったのである。
 前いうような家庭であったから、別に心配もしなかった、いたずらにつまらぬことに頭を悩まして、からだを疲労させるということがなかったばかりでなく、学校の教科目その他の物についても困難、苦痛もなく、まず学生時代はのんきに暮らしたほうである。といって、友だちとやたらに交際しておもしろく遊んだというわけではなく、こちらから求めてするような事はさらにしなかった。
 田舎の事であるから、家に帰ると遊びの友と言ってもわずか二三にとどまっていたくらいのもの。だが幸いそのころ、近所にあった親戚でちょうど同年輩の者が来ていたので、よくそこへ行ってはそれと遊んだように覚えている。
 いったい、自分は交際ということが下手のほうで、今も自ら求めて交際するというような事はなく、ただ心を許したわずかの友と深く交わっているに過ぎぬ。
[#地付き](明治四十一年十二月)



底本:「日本の名随筆 別巻85 少年」作品社
   1998(平成10)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第一七巻」岩波書店
   1962(昭和37)年2月
入力:もりみつじゅんじ
校正:多羅尾伴内
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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