荒物屋の不幸を見聞きするにつけて、恐ろしい空想が悪夢のように心を襲う。黒ずんだ血潮の色の幻の中に、病女の顔や、死んだ娘の顔や、十年昔のお房の顔が、呪の息を吹くやもりの姿と一緒に巴《ともえ》のようにぐるぐるめぐる。
二、三日経て後の夕方、荒物屋の座敷には隣家の誰れ彼れが大勢集まって酒を酌んでいた。畳屋も来ている、八百屋の顔も見える。あかるいランプの光は人々の赤い顔に映えて何となく陽気に見える。台所では隣の菓子屋の主婦が忙がしそうに立働いている。知らぬ人が見たら祝いの酒宴とも見えるだろう。しかし病めるこの家の主婦は前夜に死んだのである。いまわと云う時に、死んだ娘の名を呼んだとも云う。
養子に離れ、娘にも妻にも取り残されて、今は形影|相弔《あいちょう》するばかりの主人は、他所目《よそめ》には一向悲しそうにも見えず、相変らず店の塵をはたいている。台所の方は近所の者などがかわるがわる世話をしているようであった。それから間もなく新しい女が店に坐るようになった。下宿の主婦は、荒物屋には若い好い後妻が来たと喜んで話した。自分も新しい主婦の晴れやかな顔を見て、何となくこの店に一縷《いちる》の明るい光がさすように思うた。
今年の夏、荒物屋には幼い可愛い顔が一つ増した。心よく晴れた夕方など、亭主はこの幼時を大事そうに抱いて店先をあちこちしている。近所のお内儀《かみ》さんなどが通りがかりに児をあやすと、嬉しそうな色が父親の柔和な顔に漲る。女房は店で団扇《うちわ》をつかいながら楽しげにこの様を見ている。涼しい風は店の灯を吹き、軒に吊した籠や箒《ほうき》やランプの笠を吹き、見て過ぐる自分の胸にも吹き入る。
自分の境遇にはその後何の変りもない。雨が降ると風呂に行く。暗闇阪の街燈には今でもやもりが居るが、元のような空想はもう起らぬ、小さな細長い黒影は平和な灯影に眠っているように思われるのである。[#地から1字上げ](明治四十年十月『ホトトギス』)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
1996(平成8)年12月5日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
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