いうあたま[#「あたま」に傍点]のない女中などには到底望み難い仕事である。私はこのような間に合わせの器械を造る人にも、それを平気で使っている人にも不平を言いたくなるのである。
金網で造った長方形の箱形のもしばしば用いたが、あれも一度捕れると臭みでも残るのか、あとがかかりにくい。まれにかかってもたいていは思慮のない小ねずみで、老獪《ろうかい》な親ねずみになるとなかなかどの仕掛けにもだまされない。いくらねずみでも時代と共に知恵が進んで来るのを、いつまでも同じ旧式の捕鼠器《ねずみとり》でとろうとするのがいけないのでないかという気もする。
それよりも困るのは、家内じゅうで自分のほかにはねずみの駆除に熱心な人の一人もいない事である。せっかく仕掛けてある捕鼠器《ねずみとり》の口が、いかにはいりたいねずみにでもはいれないような位置に押しやられていたり、ふたの落ちたのをそのままに幾日も台所のすみにほうり出してあるのを発見したりするとはなはだ心細いたよりないような気がするのであった。そこに行くとどうしてもやはり本能的にねずみを捕《と》るようにできている猫《ねこ》にしくものはないと思わないわけにはゆかなかった。
ねずみの跳梁《ちょうりょう》はだんだんに劇烈になるばかりであった。昼間でもちょろちょろ茶の間に顔を出したりした。ある日の夕方二階で仕事をしていると、不意に階下ではげしい物音や人々の騒ぐ声が聞こえだした。行って見ると、玄関の三畳の間へねずみを二匹追い込んで二人の下女が箒《ほうき》を振り回しているところであった。やっとその一匹を箒でおさえつけたのを私が火箸《ひばし》で少し引きずり出しておいて、首のあたりをぎゅうっと麻糸で縛った。縛り方が強かったのですぐに死んでしまった。その最期の苦悶《くもん》を表わす週期的の痙攣《けいれん》を見ていた時に、ふと近くに読んだある死刑囚の最後のさまが頭に浮かんで来た。
もう一つのねずみがどこへかくれたか姿を消してしまった。何も置いてない玄関の事だからどこにものがれるような穴はない。念のために長押《なげし》の裏を蝋燭《ろうそく》で照らして火箸で突っついて歩いたがやはりそこにもいなかった。ただ一か所壁のこぼれたすみのほうに穴らしいものが見えたが光がよく届かないのではっきりしなかった。それが穴だとしてもそれを抜けてどこへ出られるかという事が明瞭《めい
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