たが布切れの下の腐肉には気づかなかったとある。
 しかし、これはずいぶん心細い実験だと思われる。原著を読まないで引用書を通して読んだのであるからあまり強いことは言われないが、これだけの事実から、鷙鳥類《しちょうるい》の嗅覚《きゅうかく》の弱いことを推論するのははなはだ非科学的であろうと思われるし、ましてや、とんびの場合に嗅覚がなんらの役目をつとめないということを結論する根拠になり得ないことは明らかである。
 壁の前面に肉片を置いたときにでも、その場所の気流の模様によっては肉から発散する揮発性のガスは壁の根もとの鳥の頭部にはほとんど全く達しないかもしれない。また、ごく近くに肉の包みをおかれて鳥がそれをついばむ気になったのは、嗅覚にはよらずして視覚にのみよったということもそう簡単に断定はできない。それからまた後の例でも鮮肉を食ったために腐肉のにおいに興味がなくなったのかもしれない。あるいはまた食っているうちに鼻が腐肉の臭気に慣らされて無感覚になったということも可能である。
 ダーウィンの場合にでも試験用の肉片を現場に持ち込む前にその場所の空気がよごれていて、人間にはわからなくても鳥にはもう
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