《シンギュラーポイント》であって、歩行者の心のテンポにある加速度を与えるために自然に予定の行為への衝動を受けるのかもしれない。
われわれの生活の行路の上にもまたこういう橋の袂がある。そうしてそこで自分の過去の重荷を下ろそうとして躊躇することがしばしばある。同様に国家社会の歴史の進展の途上にも幾多の橋の袂がある。教育家為政者は行手の橋の袂の所在を充分に地図の上で研究しておかなければならないと思う。
弁慶が辻斬《つじぎり》をしたのは橋の袂である。鍋焼うどんや夜鷹《よたか》もまたしばしば橋の袂を選んで店を張った。獄門の晒首《さらしくび》や迷子のしるべ、御触れの掲示などにもまたしばしば橋の袂が最もふさわしい地点であると考えられた。これは云うまでもなく、橋が多くの交通路の集合点であって一種の関門となっているからである。従ってあらゆる街路よりも交通の流れの密度が大きいからのことである。
この第二の意味における「橋の袂」のようなものもまた個人の生活や人類の歴史の上に沢山の例がある。十字軍や一九一四年の欧洲大戦のごときは世界人類の歴史の橋の袂であり、ポール・セザンヌと名づけられた一人の田舎爺《いなかじじい》は世界の美術史の上の橋の袂である。ニュートン、アインシュタイン、プランク等のした仕事もまた物理学史上のそれぞれの橋の袂であったとも云われる。
われわれ個人にとっていちばん重大なのはわれわれの内部生活における、第一並びに第二の意味における橋の袂である。ここでわれわれは身を投げるか、弁慶の薙刀《なぎなた》の※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さび》となるか、夜鷹に食われるか、それともまた鍋焼うどんに腹をこしらえて行手の旅を急ぐかである。
[#地から1字上げ](昭和四年九月『思想』)
底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
1997(平成9)年2月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
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