女の方でそこへ行って何かしら話をしていたのである。
われわれの問題は、虫が髪に附いてから、それが首筋に這い下りて人の感覚を刺戟するまでにおおよそどのくらいからどのくらいまでの時間が経過するものかというのであった。もしもその時間が決定され、そしてその人が電車で来たものと仮定すれば、その時間と電車速度の相乗積に等しい半径で地図上に円を描き、その上にある樹林を物色することが出来る。しかし実際はそう簡単には行かない。
しかしこの玉虫の一例は、われわれがわれわれの現在にこびり付いた過去の一片をからだのどこかにくっつけて歩いているということのいい例証にはなるであろう。
もしもその日の夕刊に、吉祥寺か染井の墓地である犯罪の行われた記事が出たとしたら、探偵でない自分は、少なくも一つの月並みな探偵小説を心に描いて、これに「玉虫」と題したかもしれない。
アルコールを飲んだ玉虫はとうとう生き返らなかった。人間だとしたらたぶん一ポンドくらいの純アルコールを飲んだわけである。
手近にあった水銀燈を点じて玉虫を照らしてみた。あの美しい緑色は見えなくなって、※[#「金+肅」、第3水準1-93-39]《さ》びたひわ茶色の金属光沢を見せたが、腹の美しい赤銅色《しゃくどういろ》はそのままに見られた。
三 杏仁水
ある夏の夜、神田の喫茶店へはいって一杯のアイスクリームを食った。そのアイスクリームの香味には普通のヴァニラの外に一種特有な香味の混じているのに気がついた。そうしてそれが杏仁水《きょうにんすい》であることを思い出すと同時に妙な記憶が喚び起されて来たのである。
中学四年頃のことであったかと思う。同級のI君が脚気《かっけ》で亡くなったので、われわれ数人の親しかった連中でその葬式に行った。南国の真夏の暑い盛りであった。町から東のO村まで二里ばかりの、樹蔭一つない稲田の中の田圃道《たんぼみち》を歩いて行った。向うへ着いたときに一同はコップに入れた黄色い飲料を振舞われた。それは強い薬臭い匂と甘い味をもった珍しい飲料であった。要するにそれは一種の甘い水薬であったのである。もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。
明治二
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